暗黒竜の宴
こうして僕はイノシシの亡骸を暗黒竜神殿まで運ぶことにした。
何トンもあるような巨体を動かすのには重機以外の選択肢がなさそうなものだったが、影の腕で軽々と持ち上げることができた。どうやら見た目よりも力持ちらしい。
僕とヴォルグがスライムたちを伴ってイノシシを持ち帰ったのを見て、ほかの魔狼族はびっくり仰天だった。
うろたえる彼らに事情を説明してから、僕はイノシシを捌くことにした。
スローライフ動画を漁っていたころ、猟師のチャンネルもよく見ていたのだ。
頭を落として胸を開き、よく洗う……という、ここの行程でまず躓いた。
暗黒竜神殿には小さな泉しかなく、唯一の水源を汚すことは避けたかったからだ。
川に運ぼうかと思ったとき、そばで見ていたスライムがこう申し出てくれた。
「ちをあらいたいの? だったらぼくがすいとろうか?」
「そんなことできるの!?」
どうやら吸収するものを選別できるらしい。
試しにお願いしてみると、スライムは意気込んでイノシシの腹の中にぴょーんと飛び込んだ。
あとは目にも留まらぬスピードでその体の内と外とを這い回り、あっという間に血抜きの作業が完了した。
仕事を終えたあと、血を吸って何倍にも膨れ上がったスライムがイノシシの体からぼてっと転がり落ちてきた。色もライムグリーンから一転、ドス黒く淀んでいる。
「だ、大丈夫? なんだか動きづらそうだけど」
「へーきだよ。みててね、ぷるるるる!」
そう言ってスライムはぷるぷると震える。
するとあっという間に体が縮まり、色も元に戻ってしまった。
彼はぴょーんと軽々と跳んで僕の腕に飛び込んでくる。
「こうやって『しょーか』したらいいだけなんだよ」
「つくづく逞しい生態だねえ」
質量保存の法則はこっちの世界でどうなっているのだろう。
まあ、魔法の存在する世界では野暮な話かもしれない。
「ともかくありがとう! スライムくんのおかげで助かったよ」
「どういたしまして。れいんのためなら、いつでもおてつだいするね!」
スライムは得意げに胸を張った。
こうして彼のおかげでイノシシの体から血が綺麗さっぱり消え去り、その後の洗浄や血抜きの工程を一気に省くことができた。そのあとは皮を剥ぎ、内臓と骨を取り除いていけば、肉屋の奥に吊されているような肉の塊へと近付いていった。
適度な大きさに切り分け終わったころには日も落ちて、あたりはすっかり夜の闇に包まれていた。
火キツネが起こしてくれた焚き火を囲み、僕たちは夕食を共にすることになった。
みんなは生肉のまま食べはじめるが、僕はそういうわけにもいかない。
枝を削って作った串に、一口大に切った肉を刺して、焚き火のそばでじっくりと焼いた。
食べ比べるため、肉の部位はロースとバラを選んだ。それもたくさん。
炎に炙られた表面が段々と色を変えていけば、串の位置を変えて肉にまんべんなく火が当たるようにする。
前世のころはコンロやオーブンがあったので、肉を焼くのなんてあっという間だった。
だが、焚き火となるとそうもいかない。
中まで火が通るまで相当な時間を要した。
僕はスライムたちが採ってきてくれた果物をつまみながら、肉が焼けるのをじっと見つめていた。もどかしくも贅沢な、初めて体験する時間だった。
やがてみんなが食べ終わるころ、ようやく僕の初料理が完成した。
「よし、できた! イノシシ肉の串焼きだ!」
串を掲げて歓声を上げる。
塩も胡椒もないから、ただ焼いただけのシンプルな料理だ。
それでも長時間じっくり炙った肉は表面がこんがりと焼けていて、透明な脂がじわじわと染み出していた。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、おもわずごくりと喉を鳴らしてしまう。
食べるのを一緒に待ってくれていたヴォルグとスライムも、おーと歓声を上げる。
「ほうほう、これなら坊ちゃまも食べられますね」
「へー。おにくってやいたらこうなるんだね」
「えへへ、焼いた肉なんて久々だよ。それじゃ冷めないうちに……いただきまーす!」
ふたりが見守るなか、僕は満を持して串焼き肉にかぶりつく。
小さく切ったつもりでも、五歳の僕には限界まで口を開かないと入らないほど大きかった。
なんとか口いっぱいに頬張って、ゆっくりと肉を噛みしめる。少し筋が残っているものの、肉はとてもしっとりしていて、口いっぱいに脂の旨味が広がった。
干し肉では味わえない味と触感を、僕はじっくりと堪能した。
ごくりと飲み込んで、満面の笑顔でこう叫ぶ。
「おいしい!」
ほかのみんなが「なんだなんだ?」とばかりに僕の方を見てくるが、気にしてはいられない。
僕はニコニコしながら別の串を手にする。
「ちょっと固くて獣臭いけど、思ったよりも食べやすいかも。えっと、今食べたのはロースだからバラの方は……すごい脂! ジューシーで最高!」
手がベタベタになるのにもかまわず、夢中になって串焼きにかじり付いた。
尋常でない脂だが、幸いなことに僕は若い。
つまり、胃もたれなんか無縁なのだ! 限界まで食べてやるぞ!
そんな覚悟で肉に向き合う僕を見つめ、ヴォルグとスライムが目を丸くする。
「肉を焼いただけで、そんなに美味くなるものなのですか……?」
「れいん、うれしそうだねえ。どんなあじなんだろ」
「たくさんあるし、よかったら食べる? ほら」
一度に何本もの串を焼いていてよかった。
一本ずつ差し出すと、ふたりは飛び上がるほど喜んだ。
「よろしいのですか!? 坊ちゃまの優しさが老いた我が身に染み渡ります……!」
「ありがと、れいん! ぼく、こんなのたべるのはじめて!」
「ふふふ、それはよかった。食べる前には『いただきます』って言うんだよ」
「承知いたしました。いただきます!」
「いただきまーす」
ふたりともお行儀よくそう言って、僕の手ずから串にかぶりつく。
ヴォルグは口いっぱいに肉を頬張り、スライムはまとわりつくようにして食べる。
「ほうほう、これはなかなかいけますな」
「おいしー」
「ふふ、でしょ?」
目を輝かせるふたりに――ヴォルグはともかくスライムの彼に目玉はないのだが、今日一日一緒に過ごすうちに表情らしきものが読めるようになっていた――僕は胸を張ってほくそ笑む。
みんなで食べるとことさら美味しい。
僕もふたりにならって肉にかぶりつく。
とはいえ、欲を言えば――。
「この獣臭さを消して、もう少し柔らかくできたらもっと最高なんだけどなあ」
「坊ちゃまはまだ歯も小さいですしね。工夫が必要でしょうな」
「おにくがもっとおいしくできるの? どうやって?」
「やり方はいろいろあるんだよ? 代表的なのはやっぱり塩胡椒かな。塩は海水を煮詰めるとして……胡椒ってどうやって作るんだろ」
胡椒の作り方なんて、これまで考えもしなかった。
僕が知っているのは、地球の大航海時代には同量の金と交換されていたほど貴重なものだった、というありふれた知識だけだ。
(こんなことになるなら、もっとまんべんなく勉強しておくんだったなあ)
後悔してももう遅い。
せめて今世はたくさん学んで知識を得よう。
ひょっとしたら『肉を美味しくする魔法』なんていうピンポイントな魔法が存在するかもしれないし。
「……魔法?」
「坊ちゃま?」
「れいん?」
そこでふと思い付くことがあった。
急に僕が押し黙ったものだから、ふたりが不思議そうに首をかしげる。
おかまいなしで僕は串をじーっと見つめる。
すると昼間のイノシシに使ったとき同様、薄らと文字が浮かび上がってきた。この肉のステータスらしい。新鮮さ、獣臭、固さ、栄養値……等々の文字が並び、その隣には数字。
能力減衰魔法を試してみる価値はあるだろう。
僕は肉の上に手をかざし、祈りとともに言葉を紡ぐ。
「固さと獣臭よ、下がれ!」
闇色の波動が肉に注がれ、該当ステータスの数値が下がる。
肉の見た目に変化はないが、あきらかに匂いが変化した。さっきよりもずっと芳しい、食欲をそそる香りだ。
僕はその肉におずおずとかじり付いた。
するとその瞬間、先ほどとは比べものにならないほどの旨味が口いっぱいに広がった。
「すごい! 臭みが消えたし、肉が柔らかくなった!」
歯を立てなくてもほろほろと崩れ、余計な獣臭さが消えたおかげで非常に食べやすい。
前世で食べていたグラム百円の豚肉なんて目じゃないほどだ。美味しさで胸が一杯になるなんて初めての経験だった。
僕は夢中になってその串を平らげ、次の串にも同じように魔法を掛けた。
肉のいい匂いが強まって、ヴォルグとスライムも目を丸くする。
「魔法をかけると美味くなるのですか? なんとも興味深いですな」
「ねえねえ、れいん。ぼくのおにくにもかけて!」
「もちろんだよ! そーれ!」
ふたりの串にも同じように魔法をかける。
半信半疑の様子で肉にかじり付いたふたりだが、一口食べた瞬間に目を輝かせた。
「先ほどとは別物です! こんなに美味い肉は初めて食べました!」
「すっごーい! ぼくみたいにぷるぷるだだ!」
「でしょでしょ!」
僕らの盛り上がりに、他のみんなも興味をそそられたようだ。
おずおずと近付いてくる彼らにも串を振る舞うと、もれなくみんな歓声を上げた。
こうして僕は追加の肉をせっせと串に刺すことになった。
(万能すぎるでしょ、魔法って! もっといろいろ使えそうだなあ)
たとえば水の固さを変えることができれば、軟水と硬水を自在に作り出せるだろう。
軟水は米を炊いたりダシを取ったりに向いている。いわば和食の味方だ。
一方で、硬水はシチューなんかの煮込み料理が主戦場だ。
ここの泉はやや硬水よりなのだが、これでわざわざ軟水を探してくる必要もなくなった。他にもいろいろと使い道がありそうだ。
そこまで考えて、僕はふと苦笑をこぼしてしまう。
「いかがされましたか、坊ちゃま」
「いや、レヴニルに『継承した魔法をそんなことに使うな』って怒られそうだと思ってさ」
「まさか。そんなことはありませんよ」
ヴォルグはかぶりを振ってにこやかに言う。
「坊ちゃまが楽しんでおられるなら、きっとご納得いただけます」
「……そうだといいなあ」
「それにご覧ください」
そう言ってヴォルグが示すのは、僕が作った串焼き肉を頬張るみんなの姿だ。
生まれたときからずっと一緒の魔狼族や、他の魔物たち。種族の異なる彼らはしかし、同じ食事を囲んで笑い合い、同じ時を過ごしている。
それはきっと平和と呼ぶべき光景なのだろう。
「レヴニル様が守りたかったのは、この山の平穏なのです。坊ちゃまはちゃんと務めを果たしておいでですよ」
「ふふ。ありがとね、ヴォルグ」
僕はヴォルグの額をそっと撫で、串を掴んで立ち上がる。
そうして僕らを優しく見下ろすお月様へと串をかざし、大きな声で宣言した。
「みんな! まだまだ焼くから、たくさん食べてってね!」
『わーい!』
たくさんの歓声が山の中にこだました。
こうして僕の暗黒竜デビューの一日は、慌ただしくもまったりと幕を閉じたのだった。
だからこのときはまだ知らなかった。
僕が暗黒竜を継いだということが、この世界にどれだけ大きな衝撃を与えていたのかを。
◇
暗黒竜が消滅したこと。
そしてそれとほぼ同時に、後継者が現れたこと。
それらの事実は当日中に世界中の誰もが知ることとなり、大きな衝撃を与えていた。
ある者は歓喜し、ある者は怯え、ある者はひどく落胆した。
そして暗黒竜山脈から最も近い街――シュトラントでも小さな混乱が起きていた。
多くの人々が暮らす豊かな街だ。海沿いに位置するため、このあたりの物流の要となっている。
その中心部には大きな教会があった。尖塔の頂には竜の象が飾られ、ほかにも羽根や牙などの竜を示す意匠があちこちに見られる。
締め切られた礼拝堂の奥、司祭の執務室にはふたりの人物がいた。
ひとりは気怠げな雰囲気をまとった女だ。
シンプルな祭服に身を包み、一枚の羊皮紙を広げている。
「どうします、カルコス様。本部からの指令とはいえ、暗黒竜との接触だなんて自殺行為ですよ。いっそ突っ返しますか?」
「バカを言うな!」
それを叱りつけるのはでっぷりと太った中年の男だ。
女性よりもはるかに華美な祭服に、はち切れそうなほどの贅肉を無理やりに収めている。
太い指には大粒の宝石が輝き、禿げかけた頭には立派な冠。
中年男は執務室の壁に据えられた、六体の竜像を睨みつける。
それらはほのかな光を湛えており、漆黒の竜が放つ光はひときわ強かった。
その禍々しくも美しい暗黒色の光に目を細め、中年男はニタリと笑う。
「これはチャンスだ。新たな暗黒竜に取り入ることができれば、教会内での私の地位はますます盤石のものとなるだろう」
中年男は自分に言い聞かせるようにそう呟いて、右手を突き出して告げる。
「急ぎ供物の手配を進めるのだ! 暗黒竜に会いに行くぞ!」
「はいはい」
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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