プロローグ
第二の生を得て三日目。
僕は竜に捧げられた。
「いかがでしょうか、暗黒竜様」
「ふうむ……」
狼の問いかけに、寝そべっていた竜がのっそりと首を起こす。
丸まって身を縮めていてもなお、天を突くほど巨大な竜だ。
フォルムは僕のよく知るトカゲに近いものの、背中には皮膜の付いた羽根が生えている。
頭の先から長い尻尾の先端までが余すことなく漆黒の鱗で覆われていて、それらが月明かりを浴びて鈍い光を放つ。口から覗く牙もぬらりと白く輝き、断頭台の刃を思わせる。
気怠げな雰囲気をまとっているが、これまで僕が見てきたどんな生き物よりも気高く、美しく、神にも等しい存在なのだとひと目で分かる威風である。
そしてその目の前に捧げられた僕は、生後三日の赤子だ。
ようやく目がぱっちり開いて、ぼんやりと世界が見えるようになったものの、手足を動かすことすらままならない。口から出るのはかすれた鳴き声とよだれだけ。逃走どころか、命乞いすら不可能だ。
まさか生まれ変わった先が、よりにもよって竜のいるような異世界だったとは。
少しだけ胸は躍るけれど、こんな形で知りたくなかったかなあ。
はははは…………はあ。
(今生もツいてないなあ……)
思えば前世も不運の連続だった。
前世の僕は二十一世紀の地球、日本という国で生きた。
生まれてすぐ両親を事故で亡くし、進学の資金もなかったため、義務教育を終えたあとはがむしゃらに働いた。しかしその後すぐに大病が見つかり、あっさりと死んでしまった。
趣味もなく、友人もいない寂しい人生だった。
地球での人生を終えたあと、僕の魂は病院のベッドからするりと抜けだし、暗くて深いどこかに落ちていった。いつ終わるともしれないその落下の間、僕は心の底から後悔した。
もっとたくさんやりたいことがあったのに、何一つとしてなし得なかった。
もしも次の人生があったなら、もっともっと彩り豊かな人生を楽しもう。
そんな決意を抱いた次の瞬間、ぐいっと引っ張り上げられて、気付いたときには産婆が僕を抱き上げていた。
わあっといくつもの歓声が上がって、僕は本当に第二の人生を得たのだと知った。
『やった! 今生は精一杯に楽しむぞ!』
そんなふうにちっちゃな手のひらをぐっと握りしめた僕だったが、すぐに雲行きが怪しくなった。周囲の大人たちが悲鳴と驚きの声を上げ、すすり泣く声までもが聞こえてきたのだ。
子供の誕生を祝う場にふさわしくない、お通夜のような空気だった。
やがて僕は清潔な布に包まれたまま馬車に揺られてうたた寝し、ハッと気付いたときには暗い森の、大きな木の根元に置かれていた。
どうやら捨てられたらしい。
嘘でしょ!?
……と思う暇もなく、そのあとすぐ狼の大群がやって来た。
狼は僕の匂いをくんくん嗅いで、何やら仲間内でガルルと相談したあと、僕を森の奥深くにあったこの神殿まで運んできた。石造りの建物で、月明かりのもとでも分かるほどボロボロだった。
その神殿の奥には前述の竜がいて、狼たちが僕をしずしずと献上して今に至るというわけだ。
二度目の人生三日目で、すでに前世以上のハプニングの連続だ。
(そんな今生も、もうすぐ終了かあ……)
しかも竜に食べられてときた。
そう黄昏れたそのとき、小さな僕の中で大きな怒りが生まれた。
(いやいや……受け入れてたまるか! やってられないにもほどがあるでしょ!)
衝動はムクムクと膨れ上がり、火山が秘めたマグマのように出口を探して渦を巻く。
竜に食べられて終わるのは仕方ないにせよ、せめて一矢報いなければ気が済まなかった。
(よーし見てろよ! 赤ん坊の全力泣きの威力、思い知れ!)
僕は大きく息を吸い込んだ。
薄いお腹がいっぱいになるくらい空気を溜めて、渾身の力を込めて吐き出す。
ちょっとでも竜が驚いてくれれば溜飲が下がるというものだ。
しかしその結末は、僕の遙か予想の斜め上にかっ飛んでいく。
「おんぎゃああああ!」
バヂバヂバヂバヂ……ドッカーーーーーン!
僕が泣くと同時、目の前に暗黒色のエネルギー弾が火花を伴って現れたのだ。
瞬く間もなくその暗黒弾は打ち出され、竜の顔すぐそばをかすめて神殿の屋根を粉砕した。
「ふへっ!?」
それは赤ん坊が思わず泣くのをやめてしまうほどの威力だった。
目を丸くする僕めがけて天井の瓦礫が落ちてくる。
あわや圧死かと思われたそのとき、竜の影が地面から浮き上がり、大きくしなって瓦礫を軽々と吹き飛ばした。
「くくく……やんちゃ坊主めが」
竜は喉の奥でくつくつと笑い、ぽかんと固まる僕の顔を覗き込んでくる。
竜の虹彩は紫色で無数の煌めきが宿っており、その中心には真っ黒な瞳孔が浮かんでいた。まるで銀河に鎮座するブラックホールのようだ。
この世のものとは思えない美しさに、僕は眼前に迫った死を忘れ、思わずほうっと見蕩れてしまう。
やがて竜はかぶりを振って、僕を連れて来た狼に声を掛けた。
「素晴らしい魔力だ。でかしたぞ、ヴォルグ」
「では、やはり……」
「うむ。この赤子こそ我輩が渇望せしものだ」
そう言って、竜は僕に長く鋭い爪を向けた。
串刺し!? そんな死因も嫌なんだけど!?
そう焦ったものの、竜の爪は僕のぷにぷにしたお腹を突き破ることはなかった。
ただそっと爪の背で僕の頬を撫で、竜は目を細めて言う。
「汝に名前を授けよう。暗黒竜レヴニルの名にあやかって、レインと名乗るがいい」
「あうー……?」
「レイン、健やかに育てよ」
僕がぽかんと声を上げても、竜は穏やかにそう言うだけだった。
トカゲの表情が分かるはずもないのに、そのときの僕には、何故だか竜が優しい微笑みを浮かべているように見えた。
長い尻尾もメトロノームのようにゆっくり揺れて、控えた狼たちも歌うようにか細い遠吠えを響かせる。なんだか不思議と落ち着く光景に、僕は大きなあくびをした。
流れが変わってからは、不可解の連続だった。
まず、竜は僕を食べようとしなかった。
それどころか狼たちに食べ物や衣服などを持ってくるよう命じ、僕の世話をさせた。
一歳ごろまではヤギの乳と木の実を与えられ、そこからはパンや干し肉、果物という様々な食料を食べさせられ、服も真新しいものを着せられた。
はいはいも歩く練習も、全部狼たちが付き合ってくれた。
少し転んで膝小僧を擦りむいただけで、みんな大慌てで手当てしてくれた。
竜は僕の成長を、神殿の中で寝そべりながら、ただ静かに見守り続けた。
そうして季節が五回巡った、春のある日のこと。
竜は僕を呼び出して、こう尋ねたのだ。
「レインよ。暗黒竜を継ぐ気はないか?」
「なんて?」
これは、僕が暗黒竜後継者としてまったり暮らし、世界中に異名を轟かせるだけの物語。
新連載開始です!
本日はあと二回更新予定です。次は18時20分。
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