旅立
翌日。韓融、陰脩、呉脩、王瓌、そして胡母班は、未央宮前殿で詔書を拝受し、「関東へ即日出立せよ」との命を受けた。
退出した胡母班たちが、重々しい表情で殿舎の階をおりていると、
「方々、帝が――」
そう注意を促す寂声が階下からした。蔡邕である。使者となった五人の旅立ちを見送るため、駆けつけたのだ。
司徒の王允も誘うと言っていたが、その姿は見えない。
王允は、表面上は董卓に従いつつも、裏では袁紹や曹操ら関東の諸将と密かに連絡を取り、さらには董卓暗殺計画を自ら練っているという。そんな恐るべき噂を、首都を警備する執金吾という立場上、胡母班は何度か耳にしていたが、漢の忠臣である彼の身の安全を考えて、その情報が董卓に届かぬように全て揉み消していた。
王允は、剛愎な気性で、己が悪とみなしたものには苛烈な姿勢を見せる傾向が強い。徳を以て董卓の暴を改めんと志す蔡邕とは相容れず、嫌っているふしさえある。そのため、誘いに応じなかったのであろう。
胡母班の想像はほぼ当たっており、王允に何かしら厳しい言葉を浴びせられたらしい蔡邕の顔色はすこぶる悪かった。だが、殿上へと眼差しを向けているその瞳だけは、蒼天を仰ぎ見るかのごとく輝いている。まさかと思った胡母班たちが振り返ると、殿上には玉衣を纏った清げなる少年の姿があり、心細そうにこちらを見ていた。幼い帝の頬を、光り輝くものが伝っている。
「嗚呼、おいたわしや。聡明なる帝は、我らが死地に赴くことを重々ご承知ゆえ、別れを惜しんでくださっているのじゃ」
韓融が、真っ白な口髭を涙で濡らし、その場に跪く。胡母班らもそれにならい、全員が頭を地に叩きつけて拝礼した。
帝は、しばしのあいだ、名残惜しそうに五人を見つめていたが、やがて殿内にさがっていった。
大鴻臚の韓融は、朝廷に帰順した周辺民族を管轄する長官。
少府の陰脩は、皇室の衣服・宝貨・珍膳などを司る長官。
将作大匠の呉脩は、宗廟・宮殿・陵園の諸工事を司る長官。
越騎校尉の王瓌は、宮殿の宿営にあたる越人騎兵隊の指揮官。
そして、執金吾の胡母班は、首都警備の長官である。
いずれも朝廷に欠かせぬ重石、帝が頼みとする忠臣たちだ。
少年の帝にしてみれば、自分を守ってくれていた大人たちが――しかも五人も一度に――今日死出の旅路につこうとしているのである。悲しくないはずがあろうか。寂しくないはずがあろうか。
(あんな目で見送られてしまったら……)
あの世へと去りゆく者を、ただ指をくわえて見送ることしかできない。その絶望と無力感。
胡母班は、これまでの人生に、それを嫌というほど味わってきた。幼い帝とて同じである。十歳ですでに父母なく、養育してくれた祖母を失い、異母兄も毒殺されたのだ。
理不尽な運命、近しい者の死。それは、時に人を強くすることもあるだろう。しかし、往々にして心が歪む原因ともなる。実際、俺は病んでいる、という自覚が胡母班にはあった。十年前のあの一件以来、神の悪戯としか思えぬ人間の不幸と遭遇するたび、あの時あの場所で聞いた雷鳴のごとき笑い声、手を叩く不快な音が、耳の中で蘇るのだ。現にいまも、その幻聴は彼の耳底で鳴り響いている。
――政治は腐り、群雄は勝手気ままに割拠し、民衆は路頭に迷う。くそったれな世の中に失望させられてばかりだ。たったひとつでもいい。我が命をなげうって、人々を苦しめる理不尽な何かを変えられることができるのなら……俺はそれで満足だ。人間が死を忌避するのは、その先にある暗闇の世界での新たな生活がどんなものか分からず、恐ろしいからにすぎん。しかし、俺はすでに暗闇の世界を見てきた。恐れるものなど何もない。
世を覆う理不尽に対する怒りから、胡母班はそんな悲壮な決意を抱き、今日まで生きてきた。それゆえ、今回の命がけの任務にも、己の生死に対してさほどの葛藤は抱いていないつもりであった。
だが、しかし――帝の涙を見たいま、思わぬ迷いが生じつつある。
終わりなく続く身近な人々の死は、幼い帝の心を蝕み、心の成長に悪影響を与えかねない、ということだ。精神を病み、無気力な天子になるのではないか。我らは、あの少年のために死ぬのではなく、何としてでも生き残るべきなのでは……。
「それにしても、董卓め。よく考えたものよ。自分の配下ではなく、帝の近臣である我らを使者に立てるとは」
皆がそれぞれに帝を想い、しばしのあいだ無言の時間が流れていたが、その沈黙を憤りに満ちた打ち震える声で破ったのは、呉脩である。彼は、死の旅を前にした五人の中で、一番顔色が悪い。
「我らが首を刎ねられても、董卓は痛くも痒くもない。それどころか、厄介な危険分子と考えている我々名士を、自分の手を汚さずに始末できる。万が一、和平交渉が上手くいけば、それはそれで僥倖……。謀臣の李儒あたりの入れ知恵であろうか」
在京の名士の体のいい排除――そういう意図は大いにあるに違いない。
特に、潁川郡の人の韓融と陰脩は、大物の名士だ。韓融は、廉潔の人として知られ、その徳風を慕う者は多い。また、陰脩は人材発掘の名手であり、のちに魏の重臣となる荀彧・荀攸・鍾繇ら同郷人を官吏として世に出した。
董卓とて当初は、徳望ある名士らを取り込み、自らの政権に正統性を持たせる努力をしてはいた。蔡邕のような大儒を異例の速さで累進させ、名のある諸将を各地の刺史や太守に任命し、若年のころから清流派の名士たちに「八廚」と称賛されていた胡母班を執金吾に抜擢したのも、懐柔策のひとつだった。
しかし、董卓が任命した刺史や太守の多くが反董卓連合軍に加盟するという誤算が生じ、さらには長安遷都の直前、信任していた在京の名士の中に連合軍の内通者がいるという疑惑が生じた。嚇怒した董卓は、嫌疑のかかった名士を殺してしまった。
いまの董卓は、漢を支えてきた名士の扱いに困り、また裏切られるのではないかと疑心暗鬼に陥っている。のちのち自分に逆らいそうな気骨ある漢の忠臣を上手に取り除くすべを李儒に吹き込まれ、こたびの仕儀に至ったのだとしても不思議ではない。
「いや、それだけではないな。これは袁紹殿に仕掛けられた恐るべき罠でもある」
呉脩の言葉を受け、美髯を撫でながら鋭くそう指摘したのは、人を見抜く天才の陰脩である。
「叔父を処断された私怨を晴らすべく、袁紹殿が我ら漢の忠臣を殺せば、尊皇の志を持つ人々の心は彼から離れていく。かといって、和平への働きかけを見過ごせば、反董卓の旗頭として天下の諸将を従えるという袁紹殿の野心は潰えてしまう……。どちらに転んでも、得をするのは董卓ばかりじゃ」
「しかし――帝をお守りしている我らとしても、和平が成立するのは悪くはない。違いますかな?」
胡母班がそう言うと、陰脩はニッと笑って「だから、行くんじゃよ。董卓に尻尾を振るふりをして、な」と答えた。
「方々ッ。こんなところで立ち話など無用、無用ッ。今すぐ出発しましょうぞ。董卓が我らを和平の使者に立てたことを袁紹が察知する前に、一人でも多く関東の諸将と接触せねば」
根っからの短気者である王瓌は、日ごろ越人の兵を叱り飛ばしているような大音声で胡母班らを急かし、自分はさっさと歩き始めた。
「やれやれ。相変わらずのせっかちじゃのぉ。……蔡邕殿、帝のことをよろしく頼みましたぞ」
韓融が、年老いた犬のような穏やかな眼差しを向けて蔡邕にそう言うと、博学の大儒は暗い顔で「私は恥ずかしい……」と呟いた。
「方々が漢王室の未来のために覚悟を決めておられるのに、私は胡母班殿に逃げるよう勧めてしまった。そして、そんな臆病者の私が、こうしておめおめと都にとどまるとは……」
「いや、それは違いますぞ、蔡邕殿。昨日はいきなり『逃げろ』と言われてムッとしてしまったが、たしかに命は大事だ。命があるからこそ何事かを成せる。死んでは元も子もない。それは道理中の道理。俺が命知らずの愚か者なだけのこと。この胡母班、友として我が命の心配をしてくれた蔡邕殿の仁愛の心を生涯忘れぬ所存です」
これが永訣の会話になるかも知れないと思えば、頑なな心も柔らかくなり、素直に感謝を述べることもできるというものだ。胡母班は真心を込めて礼を言った。
だが、生真面目で一度沈んだらなかなか気を取り直すことができぬたちの蔡邕は、しきりに嘆息している。
胡母班は、二十も年上の友人に対して非礼かな、と少し躊躇ったが、任侠の徒らしいざっくばらんさで蔡邕の肩をバシバシ叩いた。
「そんな顔をしないでください。なるべく生還を目指しますから。しかし、いかなる結果に終わろうとも、さほど恐れる必要はないと俺は考えているのです。我らの志は、蔡邕殿が知ってくれている。貴方が編纂している史書に、我ら五人の漢への忠誠を細大漏らさず記してくだされ。我々はけっして、董卓の使い走りなどではなかったのだと……」
「……あい分かった。必ず記す。だが、無事に帰還してくれたほうが、貴殿たちの列伝を詳細に書きやすい。私のためにも、良い結果とともに帰って来てくだされ」
「アッハッハッハッ。なるほど。たしかに取材相手が生きていたほうが、歴史家は助かるな。承知した。長安に戻ったら、我らの活躍を事細かに語りましょう。なぁに、俺は冥府の神の手紙を黄河の神に届けたことがある男だ。手紙のひとつやふたつ、敵地に届けるなど朝飯前というものですよ。ハハハハハハ」
蔡邕との別れに感極まったのか、胡母班は両目に薄っすらと涙を浮かべながら、冗談交じりにそう言った。
胡母班本人が、巷で流布する彼の冥府下りの噂を口にするのは、非常に珍しい。これまで、よほど親しい人間にその話題をふられても、噂が事実か否か答えなかった。歴史書を編纂している蔡邕にそれを語ったということは、
――もしも無事に戻ることができず、俺の列伝が寂しい文字数になってしまったら困りますからな。その場合は、貴方も知っているはずの、俺の奇妙な体験でも書いておいてくだされ。あれは紛れもない事実なのですから。
と、暗に伝えたつもりなのかも知れなかった。
蔡邕は、微笑みながら頷きつつも、胡母班の発言に不吉なものを感じざるを得なかった。人は死する前に己の秘密を告白したがる、と聞いたことがあるからだ。
(冥府帰りの胡母班は、再び冥府へと旅立ち……二度と帰らぬのでは?)
蔡邕は、言い知れぬ不安にかられるのであった。
『後漢書』の献帝紀に曰く――韓融、陰脩、胡母班、呉脩、王瓌の五人は関東の乱を鎮めるべく使者に立った。
しかし、彼らが反董卓連合軍の諸将の誰とまず接触しようとしたか分かっているのは、胡母班のみである。記録によっては、使者となった者の名や人数にすら異同がある。
彼らの行動が詳らかでないのは、そのほとんどが二度と長安に帰還できなかったせいもある。しかし、最も大きい原因は、胡母班たちをよく知る蔡邕の非業の死だった。
この二年後、董卓暗殺事件が起きると、
(この人の悪政を私は最後まで正せなかったか――)
と悔やんだ蔡邕は、不覚にも涙してしまった。そして、それを咎めた王允によって投獄された。
「死罪を免じ、私に史書の編纂を続けさせて欲しい」
彼はそう強く懇願したが、王允は許さず、後漢末の偉大な学者は処断されたのである。