バグに侵された世界
"バグ"と言われて、君は何を思い浮かべるだろうか。大体の人は、本来なら起き得ない不具合だと思い浮かべることだろう。ゲーム内で壁抜けしてしまったり、消去したはずなのにデータ内に残り続けたり、本来の効果とはまったく別の効果になったり…
ほとんどは正常な状態とはかけ離れた現象が起きることだ。では、そのバグがこの世界に起きてしまったとしたら?
これを言うってことは大体なら察することだろう。この世界には"バグ"が発生している。
ある日を境にこの世界には混乱が生じた。
それが"バグ"。
そのバグは国と国との軋轢を無視して、全世界のトップ陣が協力をしなければならないほどの脅威を持つ。
バグはなんの前触れもなく空中に突如として出現し、そこからバグが密接に関係するゲームにちなんで"モンスター"と呼ばれる謎の生命体が召喚され、手当たり次第に文明を破壊したくさんの命を奪っていく。
そのモンスターは、その強さと討伐の難易度を計測し、"レベル"で表示される。当然、レベルの数値が高ければ高いほどモンスターの脅威度は増していく。
ちなみに、現代で産み出せる戦闘機やミサイルでなんとか倒せるレベルは5で、現在発見されているモンスターの最大レベルは59と、兵器では到底倒すことはできない強さを持つ。
では、そのモンスターは今も暴れているのかというと、そうではない。
なんせ、バグが倒したのだから。
どういうことか…それは、バグったのは世界だけじゃなかったということだ。
そう、バグが起きたのは世界だけではなくて人間もで、バグの力を得た人間がバグによって発生したモンスターを倒したという簡単なこと。目には目を歯には歯をとはよくいったものだ。
そして、バグの力を得た人間のことは"デバッカー"と呼ばれるようになり、そのデバッカーを集めて軍隊が結成され、その組織は『異常修正部隊』という名前で世界を守るために活動することになる。
「はぁ…あいつ、大丈夫かなぁ?」
学校終わりの帰り道、年々上昇し続けている気温に嫌気がさして、服の中の空気を循環させてなんとか涼もうと努力しながらため息を吐く。
"あいつ"というのは俺の妹のことで、前までは隣で一緒にこの住宅街の道を帰っていたはずの妹"如月 ユメ"を心配してのため息だった。
数ヶ月前、妹のユメはデバッカーとしての力を覚醒させて、『異常修正部隊』に入隊したのだ。本人自身、世界を守りたいと言っていたため喜ばしいことなのだが、正直に言うと懐いてくれていた可愛い妹が命のやり取りをする組織に入隊するというのは兄として少し複雑だった。
「相変わらずのシスコンだね君」
「うるせぇ」
気配もなく急に背後から現れてからかってきた人物に俺は嫌そうな顔を隠そうとしないで、一層深いため息を吐く。
彼女の名前は『狂崎胡桃』。何故か入学初日からずっと俺のことをからかってきた色々と性格が終わってるヤベェ奴。顔が良い上に俺以外の人と接する時は礼儀正しい奴なので、余計にヤベェ感がある。
「なんだいなんだい…世界一の美少女がこうやって一緒に帰ってあげてるのに少しくらい嬉しそうにしたらどうかな?」
「は?世界一の美少女は俺の妹だ!」
「うわ…流石にキモいよ…」
知るか。俺の妹が最強に可愛いんだ!異論は認めんぞ!!
「ほんっと君のシスコンさは筋金入りだよ…」
「考えてみろ。お兄ちゃんお兄ちゃん!ってついてくる妹が可愛くないわけがない!!」
(そういえばユメちゃんもブラコンだった…)
胡桃は思った。似た者兄妹だと。
「そういえば、ユメちゃん活躍してるじゃん」
「え?そうなのか?」
「いやなんで知らんのさ…ほら、これだよ」
そう言いながら胡桃はスマホを少しだけいじって、ユメが堂々とポーズをとっている記事を見せてきた。
スマホには『史上初のレベル30モンスターの単独撃破!それをしたのはまさかの最年少デバッカー!?』と見出しに書かれていて、戦闘用のスーツを纏った妹がピースをしている記事が載せられていた。
「うちの妹が天才だった件について」
「ハイハイソウデスネー」
「つめてぇなおい」
何度も何度も自慢話を聞いてたまるかととりあえず適当に棒読みで相槌をする胡桃。
「はぁ…仕方ないな」
「ため息吐きたいのはボクの方だっての」
そうして、俺が住んでいるマンションが視界に入って家に帰ったら何をしようかと考えていた次の瞬間。俺のポケットと胡桃の鞄からけたたましい警報音が鳴り響き、少し遅れて町のサイレンが思わず耳を押さえてしまうほどの音量の警報音が鳴る。
「このタイミングでかよ」
「そうだね…とりあえず、早く逃げよう」
「あぁ」
俺と胡桃は近くに自宅があるというのに、体を翻してとある場所に向かう。先ほどの警報は、モンスターが出現したことを知らせるもので、その音量が大きければ大きいほどレベルの高いモンスターが出現したことを知らせるものである。
デバッカーのようなバグの力を持たない一般人はこれを聞いたら、"セーフティエリア"と呼ばれる場所に向かわないといけない。簡単にいえば災害時の避難所のような場所だ。
そこには、デバッカー達が張ったモンスター達の認識を阻害する結界が張られているらしく、曰くモンスター達からすると既に攻略した場所と認識してしまうため襲わなくなるとのこと。
今のところモンスターが人間を襲う理由はわかっていないのだが、一説によると自分達の住める環境を広げるためと言われている。どうやら、モンスターはバグの発生地でしか出現しないらしく、そこからそのバグの影響を受ける範囲を周りを襲うことで拡張している可能性があるとのことで、土地を拡張できた場合攻略成功したことになる。
攻略に成功するとその土地を襲うことはなくなるとのことで、避難所を攻略した土地と認識させることで襲われる可能性は極端になくなるらしい。
そして、警報を聞いて走りながらそのセーフティエリアまで駆け寄る俺と胡桃は特に襲われることもなく近くの公園までやって来ていた。
「ふぅ…とりあえず着いたな」
「ぜぇ…ぜぇ…相変わらずの…体力化け物めぇ…」
「これに関してはお前が体力が無いだけだろ」
セーフティエリアの公園にたどり着いた胡桃は膝に手を当てて荒い呼吸をして汗を鞄から取り出したタオルで拭いながら息を整えている。対して、俺は少し疲れたものの呼吸は正常で周りを見渡していた。
周りには自分達と同じように警報を聞いたから避難しに来た一般人が数名いて、不安そうにうずくまっていたりそわそわして落ち着きがなかったりする。
「ほら、水をやるよ」
「あ、ありがと…」
背負っていたバックの中から一本の水の入ったペットボトルを胡桃に投げ渡し、胡桃はそれをうけとって礼を言うとすぐにキャップを開けて水を勢い良く飲み始めた。
しかし、すぐに急の異物に体が拒否したのかごほごほと咳き込む胡桃の背中を少し呆れながらも優しくさする。
「ゆっくり飲めっての」
「……君、面倒見は良いって言われない?」
「言われる。なんでか知らんが」
(これがシスコンの長所か…)
少し近寄りがたい雰囲気とぶっきらぼうな言葉遣いに誰に対しても冷たい態度なのに、シスコンのせいなのかおかげなのか面倒見はとびっきりに良い。なんかムカついたので少し小突いておく。
「それにしても今回のモンスターのレベルはいくつなんだろうな」
「それなりに警報が大きかったしね。20以上はあるんじゃないかな?」
「お、ニュースで報道されてるぞ」
「見せて見せて」
俺がスマホのニュースアプリを開くと興味津々の胡桃が懐にもぐり込んで来て、特に拒む理由もないので受け入れて一緒にニュースを見ることにする。
ニュースでは、まずすぐにセーフティエリアに逃げるような注意喚起をしていて、ヘリコプターで現在暴れているモンスターを上空からリアルタイムで映していた。
上空を飛んでいるとはいえ、たまに空を飛べるモンスターもいるのでよく命を賭けて撮影しに行けるものだと謎の感心をした後、映っているモンスターを見ていてあることに気付いた。
「なぁ胡桃…これ、近くね?」
「ボクも思った。君のマンションの近く…だよねこれ?」
今回のモンスターは群れるタイプではなく、一匹の怪獣のようなモンスターが手当たり次第に一軒家を破壊をしていて、その近くには俺が住んでいるマンションがあった。
『見てください!今回のバグによって現れたモンスターの破壊行動を!ただ尻尾を薙いだだけで家屋は地震が起きたかのように倒壊していきます!!』
見るも無惨に次々破壊されていく住宅街に注目していたら、スタッフらしき人物が実況中継しているアナウンサーに耳打ちして、アナウンサーが再び強くマイクを握った。
『どうやらあのモンスターのレベルは40越えの可能性が高いとのことです!』
「まじかよ」
想像していたレベルよりも遥かに大きいレベルに思わず声を出してしまった。
モンスターのレベルは大体の目安があって、1~10なら校庭を含めた学校が二ヶ所分の被害があり、11~20ならちょっとした小さな町が壊滅するほど。そして、40以上のモンスターは一つの都市が壊滅するほどと言われている。
そのモンスターが自分の近くで暴れていると言われては、誰だって不安に思うのも仕方ないことだ。心の中を少しの恐怖が襲うが、なんとか平静を装っていると…俺は"あるもの"を発見する。
アナウンサーが言っていることに加え、ニュースとともに流れるコメントを見るが俺以外にそれに気付いた人は居なさそうだ。一応、胡桃にも聞いておこうかと思って口を開きかけた瞬間──
「「え?」」
俺と胡桃の疑問の声が重なった。
スマホの画面に映る中継では、カメラがぶれているせいで縦と横に激しく揺れ動いていて画面酔いをした人が少なからずいると思う。しかし、それよりも驚いたのは──
『(_@;)♭+♭¥]4+%♭☆`』
俺は一瞬だけ見ていた。
カメラがぶれまくる直前、"何か"がヘリコプターに乗り込んできた瞬間を。そして、その"何か"は俺が先ほど見つけた"あるもの"と似た姿をしていることを。
その"あるもの"は言語というには不明瞭な、鳴き声のような声を発していて、最終的に揺れが止まって倒れてしまったカメラに、アナウンサーの首を掴んでいた"あるもの"のおぞましい姿が映った。
その姿を見た瞬間、俺だけでなくその隣で見ている胡桃からも息を呑む音を聞こえた。
"あるもの"は、人型をしているのだがその皮膚はぶよぶよに爛れているのに血管が浮き出ていて、爪が刀のように鋭く、とんでもなく大きな牙、黒い眼、まったく感情が読み取れない姿はあまりにも冒涜的で、全身に悪寒が走るほどに気色悪い。こんなの見せられたら誰だって怯えるだろう。
おそらく、モンスターだ。そうでなければ、マンションの屋上の更に上空を滞空しているヘリにただの跳躍で乗り込めるはずもない。それに、こんな見た目の生物なんてモンスターとしか思えない。
そして、モンスターはアナウンサーを掴んでいたその手を強めてゴキリッと嫌な音とともに倒れたカメラの前にコロコロと…
「え、なになに?」
「……」
それがはっきりする寸前で俺は胡桃の目元を片手で覆い隠した。衝撃的な映像を見せないためにそうしたが、もう片方の手はスマホを握っているため俺は当然その映像を見ることになって…
胃の奥から競り上がってくる酸っぱい液体を吐き出しそうになるが、気合いでそれを飲み込んでなんとか平静を装う。
「ほら…水飲んで?」
「あ、あぁ…」
「…ごめん、ありがとね」
「別にいい…うっ…」
視線を防がれる前に一瞬だけ映像が見えた胡桃は俺が何をしているのかをなんとなく察してさっき手渡したペットボトルを返してきて背中をさすってくれた。
吐き出しそうになったせいか体の具合が悪くなって、視界が若干ぼやけているような感覚が俺を襲う。そんなぼやけた視界でスマホの画面を見つめて──
『ミィツケタァ』
「!?」
モンスターと目が合った気がして、全身が恐怖で動かなくなる。息も急に荒くなり始め、我慢した吐き気が再び押し寄せてくる。
(見られた見られた見られた見られた…!!)
なぜ目が合った気がしたのか。そして、なぜ急に人の言葉を話し始めたのか。そして、なぜあのモンスターは愉快そうに笑みを浮かべたのか。
わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
「ちょ!"竜斗"君落ち着いて!!」
「く…胡桃…は、はやく…ここから逃げよう!!!」
「え…でも、ここ以外に安全な場所は……」
胡桃は能力マップにあるセーフティエリアを今いる場所以外を不安そうな表情で逃げようと懇願する竜斗を尻目に探るが、覚えている範囲だと一番近くてもこの場所から最低でも三キロ以上は離れている。逃げようにも先にモンスターに捕まるのがオチだ。
自転車があるならまだしも、残念ながら自分達は徒歩で登下校しているため無い物ねだりだ。でも、こんな風に竜斗が自分に縋って慌てている姿を見るのは初めてで、なんとかしてあげたい気持ちはある。
だけど、状況を鑑みてやはりここに居るのが安全だと竜斗の肩を掴んで宥めようとするその瞬間。
「っ!!」
「え…?」
胡桃はまるで走馬灯のように自分を含めた世界の全てがゆっくりになる感覚に襲われ、そんな状態で体はなぜか竜斗に横に突き倒されていた。
そして、自分をどかした竜斗は腕を広げて、前に立ち上がり、まるで"庇う"かのように決死の表情を浮かべていた。なんでそんなことを?と思ったら先程まで自分が居たそのすぐ後ろには…
竜斗が怯えていた対象のモンスターがニヤリと気味の悪い笑みを浮かべて、刀のような爪を伸ばしていた。
当然、元々自分がいた場所を突き倒してどかした竜斗はというと、無事な状態なわけがなかった。
「ぐっ…うっ…っ"あ"ぁ"…」
マグマのようだと錯覚するほどの熱が貫通された場所から全身に広がり、同時に激痛で全身の力がほとんど強制的に失い、脂汗が顔中に沸きだして涙が溢れだす。
呼吸が定まらない。痛みと熱さ、よろめく視界のどれか一つにでも意識を向けると呼吸が出来なくなってきて、集中して呼吸をしようとすれば他の感覚が刺激されて結局誤魔化される。
ポタポタと貫かれた部分から紅色の液体が流れだし、全身が燃えるように熱いのにだんだんと熱が失われていくという矛盾した感覚がする。
「…に"…g"…ろ"…っ!!」
「っ!!」
そんな重傷…いや、致命傷を受けた状態なのに歯をくいしばって倒れて呆然としている胡桃に、血を吐きながら逃げろと伝える。それで、ハッとした胡桃はよろめきながら立ち上がって、何度も何度も転びながらこの場から離れていく。
(…させるかぁぁ!!!)
モンスターが爪で俺の腹を突き刺しながら、逃げ出した胡桃の方に顔を向けたのに気付いて、その爪の付け根を全力で噛んだ。
人型でさほど大きなサイズのモンスターじゃなかったおかげでその指は簡単に俺の口の中に入り、噛み切ることはできないけど意識を逸らせるためにも噛み続ける。
『ウットオシイ』
「っっ!?」
そんな必死の頑張りもモンスターにとっては、虫刺されのような対応で竜斗の背中をもう片方の爪で斬り傷をつける。その痛みはもはや声に出来ないほどで、血を流し過ぎたせいか意識も朦朧としてくる。
「…………」
モンスターは竜斗に興味を無くしたのか、振り払うようにして死ぬ寸前の竜斗を投げ捨て、胡桃が逃げた方角に足を進める。
そのモンスターに「やめろ」と声にしようとするが、口の中の血のせいでうまく発声出来なくて弱々しく腕を前に伸ばし……そして、力を失った。
(ユメ……ごめん…)
最後に、薄れ行く意識の中で最愛の妹を思い出して、届くことない謝罪をして瞳を完全に閉じた。
そして……
『なんとか…間に合ったようですね』