9,『魔法少女☆スノードロップ』
その後、パニック映画のアフレコは無事終わったらしい。
「テレビ放送するから、楽しみにしててね」と楽し気に言われたが、ついその笑顔の裏を邪推してしまう。
もしかしたら、その恋人役の声優さんが……確か碧さんと同じ事務所の先輩だったはずだ。ありえる。
なんて思っていたが、それ以降碧さんからその話題が出ることもなく、女の子とメールしたりデートに行くような素振りもなかった。
まあ別に、俺には関係のないことだ。俺はガチ恋じゃないのだから。
今日は事務所に顔を出しに行き、バイトは休みだと昼には碧さんが帰って来た。
仕事用の鞄から台本ではなさそうな、数枚の紙をテーブルに取り出す。
「オーディションの話がきたんだよね。子供向け番組で、出てくるのは途中からだけどレギュラーだって」
良い話のはずなのに、何故か碧さんの顔が浮かない。テーブルに置いた資料を、パラパラと片手でめくっている。
「どうしようかなぁって」
「受けないんですか?」
「うーん……だって、このキャラなんだけど」
碧さんがめくった資料のページには、キャラクターのラフスケッチが描かれていた。
長い青い髪で青い片目を隠し、ファンタジーに出てくる神官のような衣装を身に纏っている、ミステリアスな笑みを浮かべた青年。
「ブルームーン!?」
「え? ああ、うん。ブルームーンってキャラなんだけど」
碧さんがキャラデザの横に書かれた『ブルームーン』という名前を指で叩く。
「クールでミステリアスな青年って、そんな役今までやったことないからさ。マネージャーもなんでこれを俺に」
スノードロップのブルームーン。
ついに碧さんがこの役と出会ったんだ。爆上がりするテンションをなんとか抑え込む。
「新しい役柄に挑戦してみるのはいいことだと思いますよ」
「そうだけど、Silk Roadのことがあるから」
ウィンはクールなガンマンだった。大人の役にも挑戦したいと、そう言っていた。
「あんまり身の丈に合わない役をやるのはまだ早かった気がするんだよね。今は自分に合った役をやってく方がいいと思う」
後の碧さんのインタビューでも「ブルームーンは自分にとって初めての役柄だった」と見たことがある。でもまさか、こんなノリ気じゃないとは思わなかった。
でもここでなんとか説得しないと、ブルームーンが碧さんじゃない未来になる可能性が。
今のところ未来が変わるようなことは起こってないが、起こってからじゃ遅い。
「Silk Roadのことだけで諦めてしまうんですか? オーディションは落ちるのが当たり前だって言ってたじゃないですか。チャンスがあるなら挑戦した方がいいです!」
隠そうと思っても、熱意が溢れ出てしまう。キョトンとしている碧さんの反応に、自分の熱量の高さを思い知る。
「え、偉そうなこと言ってすみません」
「ううん、綾介くんは何も間違ってない。本気で頑張るって言ったばっかりなのにね。声優として本気でやっていくつもりなら、チャンスを不意にするなんて馬鹿げてるよ」
碧さんが小さく拳を握った。
落ちるのは当たり前なんて言ってたけど、でも落ち込むのも当たり前だ。平気だと思っていても、本人も気付かぬうちに自信がすり減っていく。
俺には碧さんの痛みを取り除いてあげることはできない。その傷は碧さんが役を掴むことでしか癒せないのだから。
「自分の枠を自分で決めちゃダメです。碧さんは、どんな役だってできる声優さんになれますから」
根拠のない励ましじゃない。未来を知る俺だから言える。
精一杯、あなたのファンとして応援する。俺には励ますことしかできないけど。
張り詰めた空気が、碧さんの表情と共に緩んだ。
「綾介くんに言われると、背中を蹴り飛ばされた気持ちになるよ」
「ええっ? 俺は背中を押すくらいの気持ちで」
「それにしては激しかった気がするけど?」
「そ、それは……っ」
長年の思いがこもってますから、とは言えない。
慌ててる俺を碧さんがケラケラと笑った。まあここは、俺も笑って誤魔化そう。
「あ、お腹空きましたよね。今お昼用意します」
「何か手伝おうか?」
「もうほとんど作ってあるんで、大丈夫です」
立ち上がってコンロに向かうと、背中越しにテレビの音が聞こえてきた。
3月に入ってやっと暖かくなってきたと思ったら、明日はまた冷え込むらしい。
『ここでお天気プチ情報! 今月の30日は、なんと今年2度目のブルームーンが見られます!』
ガンッとフライパンを足の上に落としてしまった。
「痛っ!?」
「大丈夫!?」
俺の大声に、碧さんが飛んできた。うずくまってる俺とフライパンを見て察したらしい。
「あ~、フライパン直撃? それは痛いわ。爪が割れたりしてない?」
「だ、大丈夫です」
そんなことより、俺の目はテレビに釘付けになる。
『ブルームーンは通常2,3年に1度起こるので、1年に2度も見られるのはとても珍しいことなのです。まさに奇跡ですね!』
まさに奇跡。
「ブルームーン……」
思わず呟くと、碧さんがテレビを振り返った。
「あ、またブルームーン? こんなタイミングでブルームーンなんて運命かも。なんてね」
「き、きっとそうですよ」
有り得ないことが起こるブルームーン。
青い月はまた奇跡を起こして、俺を13年後に連れて行くのかもしれない。