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4.居候

 翌日、アフレコとバイトに出掛ける碧さんを見送って掃除を始めた。


 ワンルームの小さなキッチンは、物が積んであるだけでそこまで汚れていなかった。手を洗うくらいで、コンロはまったく使っていないらしい。


 なんでも乱雑に放り投げてあったが、漫画本だけは部屋の隅にキレイに積まれていた。

『Silk Road』という、週刊少年誌連載の漫画だ。数冊しかないが、2010年現在ではこれで全巻のはずだ。大ヒット漫画で、後にアニメ化もされこちらも大ヒット。13年後でもまだ連載もアニメも続いている。


 床が見えてきたところで昼休憩。

 カップ麺をひとついただきながら、スマホをチェックした。


 この時代にも既にスマホがあるからか、こっちの電波を拾って普通にネットに繋がる。

 まだ存在しないLINEは当然無理だが、GoogleやTwitterなどは見られた。情報の中身は当然、2010年のものだが。


 2010年当時、俺はまだ7歳。

 親のケータイはまだガラケーで、家にPCもタブレットもなかったからネットを見てはいなかった。


 当時のオタクが綴ったブログや動画サイトは宝の山で、見ていると時間があっという間に溶ける。昔のアニメや漫画の感想をリアルタイムで見られるなんて最高だ。


 感想だけじゃない。当然13年前のアニメもリアルタイムで見られる。スノードロップは2010年の10月から始まったはずだ。今年じゃないか!


 ……しかし今は1月31日。

 9ヶ月後もこの時代にいるんだろうか。というか、どうしたら帰れるんだ?


 アニメやドラマでよくあるのは、タイムスリップしたときと同じ状況になれば戻れるとか。

 だとしたら、階段を落ちればいいのか? ワザと階段を落ちるなんて、できればやりたくはないが。


 もうひとつは、満月。ブルームーンだ。

 でもブルームーンは頻繁にあるわけじゃない。だいたい2,3年に1度と言われているはずだ。

 

 この世界に2,3年。戦国時代や平安時代に飛ばされたわけではないのだから、生きて行くことはできるだろう。

 

 ただ、スノードロップの続編が見られない! それは困る!

 それに今が2010年ということは、このままなら来年は……

 

 ともかく、タイムスリップしたなら帰るのが鉄則だ。なんとかして帰る方法を考えないと。


 でも今はそれよりも、目の前の部屋をなんとかしなくては。


 黙々と掃除に明け暮れ、気づけば18時を過ぎた。夕食の準備を始める。


 そうして1日が過ぎ、碧さんが帰って来た。


「うちってこんなに広かったんだ……」


 碧さんが部屋に入るなり目を丸くした。

 本当にただゴミを片付けただけだが、それでも碧さんは床が見えていることに驚いているようだった。


 拭いたローテーブルの周りにゴミの底から発掘した座布団を敷いて、料理を運んで行く。


「いただきまーす」


 野菜と卵で作っただけの簡単な料理を、碧さんはおいしいおいしいと食べてくれた。味噌汁なんて、おかわりもしてくれた。


「よかった。嫌いなものとか何も聞いてなかったので」

「基本的になんでも食べられるよ。綾介くんは料理上手なんだね。仕事から帰って温かい食事が待ってるとか、新婚にでもなった気分だよ」

「新婚!? そ、そういうのは彼女さんに言ってあげてください」

「彼女いないって言ったじゃん」


 そ、そうだった。……彼女、いないんだ。

 いやいや、なに安心してるんだ。別にガチ恋してるわけじゃないし、俺に0.0001%でも可能性があるわけがない。とはいえ、みんなの碧さんでいてほしいという複雑なファン心理が……


「どうしたの?」


 黙り込んでいたら、碧さんに顔を覗き込まれた。キレイな瞳でじっと見つめられる。


「いや、あの……そういえば、今日はアフレコがあったんですよね? どうでした?」


 誤魔化しながら、気になっていたことをぶつける。新人時代の碧さんの細かい仕事はインタビューでも語られていない。聞けるのは貴重だ。


「今日は外画の吹き替え。5歳の子の役だったんだよ。普段から子供の役多いけど、さすがに5歳は無理あるよね」


 2010年、外画、5歳。

『煙突の向こうのクリスマス』だ!


 DVDにも収録されていない、テレビ放送だけの吹き替え版。何年もテレビ局に再放送リクエストのメールを出し続け、なんとか見ることができた。当然Blu-rayに焼いて永久保存してある。

 

「碧さんの声すごく可愛かっ……いや、きっと可愛いんでしょうね」

「まあ聞いてる人がそう思ってくれるならいいけどさ。でも子供の役のときって、ずっとニコニコしながら喋らないとだから疲れたよ」


 笑顔でマイク前に立つ碧さんを想像すると、こちらまでニヤけてしまう。可愛い。


 気づくと、碧さんが頬杖をついて俺を見ていた。


「綾介くんってさ、もしかして俺のファン?」


 今更!?

 そういえば、碧さんのことを知っていると言っだけで、ファンだとは言っていなかった。


「もちろんです! 碧さんは、前から推しで」

「推し?」


 碧さんが小首を傾げる。

 そういえば『推し』という言葉が広まったのはここ数年。13年前には一般的じゃなかった気がする。


「応援してる人のことです」

「へえ、そういう言い方するんだ。でもさ、なんで俺が『おし』なの?」

「なんで、とは?」

「俺自分で言うのも何だけど、アニメでも吹き替えでもそんな目立った役やってないじゃん。どこで俺のこと知ったの?」


 しまった。その設定は固めていなかった。

 この時点で碧さんに代表作と呼ばれているものはない。でもモブじゃなくて役付きはいくつかあったはずだから、その中からどれか……


「BL?」

「え?」


 意外な単語に思わず聞き返すと、碧さんがニヤリと笑った。


「やっぱり。絶対そうだと思ったよー。俺まともに出てるのBLゲーくらいだもん。綾介くん腐男子なんだね」

「あ、あの……」

「大丈夫、大丈夫。俺こういう仕事してるくらいだから、引いたりしないよ」


 俺の返答を聞く前に、碧さんは1人納得していた。


 碧さんが駆け出しのころから、よく出演していたのがBLゲームだ。

 アニメや吹替ではまだ無名だったが、そちらの界隈に詳しい腐女子の間では知る人ぞ知る人気だったと聞いている。アニメでブレイクしてからもBLゲームやBLCDの出演が相次ぎ、13年後には「BL界の姫様」なんて呼ばれるほどだ。


 もともとBLというジャンルは知ってたものの、実際に触れたのは碧さんファンになってからだ。

 碧さんは受け役が多く、それはもう信じられないほど色っぽい声で……喘いだり、している。男の声でエロい気持ちになるなんて当然初めてだった。


 しかし、それを本人に言及されるとは。

 恥ずかしくて震えが……いや、これは震えじゃない。


 カタカタと床から振動が伝わってくる。家が揺れてる。


 地震だ!

 瞬時にローテーブルの下に頭を突っ込んだ。


「……綾介くん?」

「は、はい……」


 もう揺れは収まっている。どうやら一瞬だったようだ。

 テーブルの下から顔を出すと、碧さんが吹き出した。


「大丈夫? 綾介くん、地震ダメなんだ」

「え、ええ。ちょっと苦手で」

「そんな大きくもなかったのに。結構怖がりなんだね」


 あの程度の揺れ、せいぜい震度2くらいだろう。外を歩いていたらほとんどの人が気づかない。

 過剰反応したことは恥ずかしいが、そんなに笑わなくてもいいのに。


 でも仕方ない。きっと今の碧さんは、大きな地震を経験したことがないんだろうから。


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