2.13年前の推し
「う゛……」
全身が痛い。一瞬意識が飛んで、気絶していた気がする。
頭がクラクラするが、駅の階段から落ちたのはハッキリ覚えている。
階段を下りるときに月を見上げていたからだ。夜だったんだから、足元よく見ておけよ俺。
情けないのと恥ずかしいのと痛みで、しばらくうずくまったまま動けないでいた。
「大丈夫ですか?」
誰かが俺に声を掛けてくれた……この声!
何度も何度も聞き続け、夢でまで聞いたこの声を聞き間違えるはずない。でも、まさか。
白い手が俺に差し伸べられる。痛みを堪え、その月明かりに照らされた顔を見上げると――
「……君島さん?」
「えっ」
驚いて目を丸くしているのは、本当に君島碧さんだ!
だが、強烈な違和感がある。首を傾げる君島さんは、抜けるような金髪だ。君島さんはずっと黒髪で、金髪は10年以上前に1度しかしたことがないはず。
それに、いくら33歳には見えない程若々しい君島さんとはいえ、目の前の彼は20歳くらいに見える。
つまり……どういうことだ?
「大丈夫? 頭とか打ってない? 自分の名前とかわかる?」
君島さんらしき人にそう言われ、ハッと我に返る。
俺の名前は新堂綾介、20歳、大学生。うん、頭は問題ない。
「だ、大丈夫……です、う゛ッ」
「ほら、掴まって」
君島さんらしき人の手に掴まって、なんとか起き上がった。柔らかくて温かい……とか言ってる場合ではないのだが。
通行人の邪魔にならないよう、なんとか道の端に移動して座り込む。
「はっくしゅ!」
思わず半袖から出た二の腕に触れると、鳥肌が立っていた。寒い。さっきまで暑かったのに。
でもよく君島さんらしき人を見ると、紺色のPコートを着ている。道行く人もみんな厚手の上着を着ていた。
「そりゃ寒いでしょ。なんで半袖?」
君島さんらしき人が、苦笑いしてコートを脱いだ。それを俺の肩にかけてくれる。
「い、いえ! いいです! 大丈夫ですから!」
「いや大丈夫じゃないでしょ。俺は中に着込んでるから平気だよ」
とは言っても、薄手のジャケット1枚では寒そうだ。半袖の俺が言うことではないが。
「そういえばこれ、キミの?」
君島さんらしき人にスマホを手渡された。クリアブルーのカバーをかけたスマホは、確かに俺のだった。
「あ、はい。ありがとうございます」
「いいなぁ。俺もそろそろスマホにしたいよ」
何か引っかかったものを感じながら、スマホを受け取った。画面をつけると、大きく日付が表示される。
2010年1月30日 21:23
2010年!?
画面と君島さんらしき人を交互に見る。
なんで? どうしてこうなった?
異世界転生? でもどう見ても異世界ではない。
それに、スマホの暗い画面に映った自分の顔は、見慣れた特に何の特徴もない平凡な日本人だ。異世界人には見えない。
でもここがもし本当に2010年なのだとしたら、この人は本当に君島さんの可能性がある。
「あ、あの……今って何年ですか?」
「今? 西暦? 平成?」
その返答で、ほぼ確信したようなものだ。
「どっちでもいいんですが」
「2010年だよ。平成だと何年だったかな」
アニメやドラマでしか聞いたことのない言葉が頭に浮かんだ。
タイムスリップ。
タイムマシンにも乗っていないのに、13年前にタイムスリップしたんだ!
ということは、目の前にいるのは本当に……君島さんということになる。33歳の君島さんの13年前ということは、今の俺と同じ20歳。
大混乱中の俺の前に、君島さんがしゃがみ込んだ。
近距離で! 君島さんと! 目が合う!
「キミ、家どこ? なんか心配だから送って行くよ」
「え、そ、そんな!? そこまでご迷惑はかけられませんから!」
まだ事態が飲み込めていないが、相手は君島さんだ。これ以上手間を取らせるわけには……
そう思ったのに、君島さんは俺の腕を取って助け起こしてくれた。立ち上がると、君島さんの背は俺より少しだけ高い。
「いいよ、これも何かの縁ってことで。俺のこと知ってるみたいだしね」
「え……あ、あの。君島碧さん、ですよね? 声優の」
「うん。声優の俺のこと知ってる人に会うの初めてだよ」
切れ長の瞳を三日月のようにして、君島さんが笑った。
「キミ、名前は?」
「新堂綾介です」
「新堂くんね」
君島さんが! 俺の! 名前を!
ラジオネームすら1度も読まれたことなかったのに、本名を! しかもマイクもスピーカーも通さない生声で!
「アニメとか好きなんだ? だとしても俺のこと知ってるって、なかなかコアな声優オタクだね」
「ま、まあ、そうですかね……」
君島さんは高校を出た後、養成所在籍中にデビューしたから20歳の今は芸歴2年目。
アニメ出演はいくつもあったけど、目立った役は多くなかったはずだ。
「それで、家はどっち?」
「え、えっと……家、は……」
事情を説明して信じてくれるわけがない。頭がおかしくなったと思われて、病院送りにされそうだ。かと言って、アパートに帰っても別人が住んでいるはずだ。
「ちょっと遠いと言いますか、帰りたくても帰れないというか……」
わけのわからない言い訳をもごもご繰り返していると、君島さんが怪訝そうに脱色した眉を寄せた。
「もしかして、訳あり?」
家に帰れない、なぜか真冬に半袖。そんな俺の状態を見て、何か事情があると思われたようだ。
「あ、そ、そうです。ちょっと親と折り合いが悪くて」
咄嗟に言ってしまったが、君島さんは同情してくれたのか神妙な顔で頷いた。
「そっかー……行くとこないなら、うち来る?」
「えっ!? き、君島さんの家に?」
「ま、狭いし汚いから、人呼べるような部屋じゃないけどね。24時間やってるネカフェが確か」
「行きたいです! 君島さんの家!」
君島さんの顔に、マジか? という文字が浮かんだ。
思わず飛びついてしまったが、冗談だったのだと瞬時に気づく。
でもファンとしての下心じゃなく、この時代で頼れる人は他にいない。けしてファンだからではない。
俺の気迫に押されたのか、呆れたように君島さんが苦笑した。
「わかったよ。じゃあ、うちおいで」
「は、はい! ありがとうございます!」
夢なんじゃないだろうか。
君島さんと同い年になって、こうして会話ができる。しかも家に行かせてもらえるなんて!
感極まって夜空を見上げると、丸い月が輝いていた。
「キレイだよね、今日の月」
俺の視線に気づいた君島さんも、月を見上げた。
「満月なんですかね」
「そうみたいだよ。天気予報で言ってたけど、これブルームーンって言うんだって。1ヶ月に2回見える満月で結構珍しいらしいよ」
ブルームーン!?
13年前のこの日もブルームーンだったなんて。まさかブルームーンの力でタイムスリップしたのか?
そんなラノベみたいなこと……でも、現に俺はタイムスリップしている。絶対に違うとは言い切れないし、他に思い当たることがない。
けして有り得ないことが起こるブルームーン。
その奇跡が、俺をこの時代へと運んだのかもしれない。