15,時を超えて
「最、高だった……」
上映会後、無意識のうちに何度そう呟いただろう。
映像はクオリティが格段に上がり、それでいて当時の雰囲気はそのままだった。声優陣も十数年の時が経っているとは思えない、当時のまま。まるで毎週ずっと放送し続けていたのかのようだった。
君島さんのブルームーンはもちろん、透き通るミステリアスな声はそのまま。
しかし積み重ねてきた経験で、その演技は更に深みを感じるようになった。何百年も生き、何度も時間を繰り返しているブルームーンの感情がより一層伝わってくる。
君島さんもたくさんの役に出会い、たくさんの人と関わってきたんだ。俺には想像できない程すごい経験が、君島さんの中に積み重なっている。
興奮が続く火照った身体を、夜の街を当てもなく歩いて冷ましていく。といっても8月、夜でもまだまだ暑いのだが。
会場のあちこちでは同窓会のように懐かしい声を上げ、オフ会に消えてて行くらしき人の姿も見た。
だが、俺はぼっちオタク。語り合える友がいないというのは残念なことだ。普段だったらすぐSNSに感想を書くが、まだテレビでは放送前ということでネタバレは厳禁とされている。
大人しく帰ってスノードロップBlu-ray BOX上映会をしようと思っていたのだが、なかなか帰る気にならない。
夜空を見上げると、ブルームーンがまん丸に輝いていた。
スマホを取り出しひっくり返せば、君島さんから貰ったステッカーが月明かりに照らされる。
あの日起きた出来事が夢じゃないことの証拠だ。俺にとってはたった1年前のことだけど、君島さんにとっては10年以上も前の話。
声優さんとしてたくさんの経験を積んだ君島さんにとっては、もう思い出すこともないような些細な出来事。そう思っていたのに……
突然、スマホが震え出した。
珍しい、電話か。画面を確認すると――『碧さん』
「君島、さん……?」
こっちの時代に帰って来てから、君島さんに連絡はしていない。
繋がるかもわからないし、繋がったとしても出るのは今の君島さんだ。説明することはできない。当然、君島さんからも連絡は1度もなかった。
個人情報をずっと持っているのは気が引けたが、どうしても消すことができずそのままになっていた。
指が震えて、なかなか画面がスライドできない。
何度目かでようやく通話画面になった。恐る恐る、スマホを耳に当てる。
「……は、い」
『え……っ、あの……綾介くん?』
「き……碧、さん?」
『綾介くんなの!?』
碧さんの叫び声が耳を貫いた。ガシャッと音がする、スマホが落ちたようだ。
『待っ、え? ホントに!? ホントに綾介くん!? なんで!? 今どこにいるの!』
「あ、あの実は俺、今日……」
「……っ、綾介くん?」
碧さんの声が電話じゃなく、直に聴こえてきた気がした。そんなわけないのだが。
「綾介くん!」
ハッキリと後ろから聞こえたその声に振り返る。
スマホを片手に、呆然と立ち尽くした……碧さんがいた。
「碧さん……ッ!?」
勢いよく、碧さんが飛んできて抱きしめられた。
何が起こったのかわからなかったが、とにかく俺は碧さんの腕の中にいる。
「綾介くん! ホントに綾介くんだよね! 信じられない。今までどうして……」
「碧さん……」
遠くからしか聞こえなかったあの声が、耳元に聞こえる。この1年……いや、13年の距離を一気に飛び越えた。
力いっぱい俺を抱きしめ、胸元に顔を押し付けていた碧さんがそっと顔を上げた。それから、少し身体を離す。
碧さんは上映会のあのスーツではなく、Tシャツに軽い上着を羽織っていた。そうしていると本当に昔と変わらない。
「まさか会えるなんて思わなかった。本当に今までどうしてたの? 全然連絡くれないし、こっちから連絡しても繋がらないし、メールもエラーになって。生きてるのかも、わからないから……」
碧さんの声が震えた。
実家が東北だと馬鹿正直に伝えてしまったことを後悔した。結局、余計な心配をさせてしまったようだ。
「すみません」
「諦めきれなくて、たまーに電話してたんだ。繋がらないのわかってたけどね。でも今日はブルームーンだし、スノードロップのイベントもあって、もしかしたら……奇跡が起きるんじゃないかと思って」
碧さんの潤んだ瞳が三日月形になる。
「良かった、本当に。ずっと会いたかったから」
胸がドクンと高鳴る。そんな言われ方をしたら、俺……
突然、碧さんが怪訝な顔をした。
まじまじと俺の顔を覗き込む。
「ええっと、本当に綾介くん、だよね? なんにも変わってないね。ホントに全然。俺と同い年じゃなかった? 30代? ホントに?」
「そ、それは……」
碧さんだって若く見えるとはいえ34歳。いくらなんでも20歳には見えない。
ところが俺は出会ったとき20歳、今は21歳だ。目に見えては何も変わっていない。おかしいに決まっている。
「弟? にしてはそっくりすぎるし。時間でもループしてる? って、ブルームーンじゃあるまいし」
「本人、ではあるんですが……」
大混乱してる碧さんを前に、どう言い繕うか必死に頭を巡らす。
本当のことを言っても信じてもらえるわけないし……
いや、信じてもらえないとは限らない。
碧さんはアニメや漫画を熟知してる。そういう人ならもしかしたら、この有り得ない現象を信じてくれるかもしれない。
「信じてもらえるか、わからないんですが」
碧さんと公園のベンチまで移動して、順番に説明した。
去年突然2010年にタイムスリップし、それは恐らくブルームーンの力ではないかということ。あの後またタイムスリップして帰ってきたので、連絡することができなかったということ。
「と、いうことなんですが」
「…………」
碧さんはじっと黙って俯いてしまった。
やっぱり無理があったか。こんな与太話信じてくれなんて、アニメじゃあるまいし。
「信じるよ」
「……っ、え!? 信じてくれるんですか!? こんなアニメみたいな話」
「俺は昔から綾介くんの言うことは信じてたじゃん」
そう言えばあの日も、俺の言うことを「信じる」と言ってくれた。
「それに、さ」
持ったままだった俺のスマホを碧さんが指差す。
「そこに入れてるステッカー、当時非売品だったやつ。しかも俺の昔のサイン入り。綾介くん以外持ってないからね」
「碧さん……」
「ブルームーンが、俺たちを繋いでくれたんだね」
青くない月を見上げて、碧さんが呟いた。
俺たちに奇跡を起こしてくれたブルームーンが、素知らぬ顔で輝いている。
あーあ、と碧さんがベンチから投げ出した足を組んだ。
「ずるいよ。俺ばっか年食っちゃって、綾介くんだけそんな若いなんてさ」
「碧さんだって、十分若いじゃないですか」
「声だけね。それだって、もう可愛い声は無理があるし」
「そんなことないです! 碧さんは見た目だって若いしキレイだし、声だって変わらず可愛くてかっこよくて素敵です!」
碧さんが目を丸くした。
しまった、ついムキになってしまった。
「すみません、つい……。でも碧さんが当時よりは若くなかったとしても、大人の魅力というのが増していて俺はすごく」
「相変わらず、俺を推してくれてるの?」
「もちろんです」
「ありがとう」
そう微笑んで、俺の頭をそっと撫でてくれた。あの日のように。
「もしまた会えたら伝えたいことあったのに、もう言えないや」
「なんですか? 教えてください」
「言えない。まだハタチそこそこのキミに、今の俺じゃ言えないよ。一回りは違うだろうからね」
碧さんの横顔が黒髪に隠れる。
見上げた月は輝いているのに、手を伸ばしても届くことはない。遠くにいるからこそ、輝いて見えるのだろうか。
「確かに今の俺は碧さんよりずっと子供で、立場も全然違う。そんなことは、碧さんを推したときからわかってました。でもあの日出会ってしまったから、今はあなたが遠くにいることが……すごく、寂しいです」
あんな風に出会っていなければ、俺はただのファンで碧さんは人気声優。近づこうとすら、近づきたいと夢にも思わなかった。遠くで活躍する碧さんの輝きだけで十分だった。
それなのに今はもう、こんなにも求めてしまっている。
手を伸ばして触れたい。傍にいたいと願ってしまう。
いつの間にか顔を上げた碧さんが、俺をじっと見つめている。
「そんなこと言われたら、おじさん本気にしちゃうよ?」
「碧さんが思わせぶりなこと言うから、ガキが本気になっちゃったんですよ」
ふっと碧さんが笑って前髪を掻き上げた。
「じゃあ、俺が責任取らないとね」
頬に碧さんの手が触れた。あの日と違って、あたたかい。
爆発しそうな心臓を抑えて、目を閉じる。そっと唇に、柔らかい唇が触れた。
「僕はずっと、君を待っていたよ」
目を開けると、ブルームーンが優しく碧さんを照らしていた。