第92話・初夏の悩み 後編
「え、別に私そんな変なことを言ったつもりは無いんだけれど……ね、莉羽?」
同意を求めるように隣の妹をそう見ると、莉羽も姉の方を見ながら控え目に二度ほど頷いていた。
ていうか、あたしが言うことでもないんだろうけど、新品の下着を見せようとするのと、高校生の身で結婚がどうのこうのって話するのと、どっちが一般的じゃないというか逸般的なのか、という気はするんだけど。
「おい雪之丞。あたしが気を失ってる間に一体どーゆー経緯でそんな話になった。言っておくがハルさんを幸せにしなかったら親友のあたしが許さんぞ?」
「落ち着け佳那妥。お前もなんかおかしいことになってる」
ほれ、と指で滑らして差し出されたお冷やを取って、ひと息であおる。そういえばいつの間にか雪之丞の注文したアイスミルクがテーブルの上に乗っかっていた。
「ぷはっ。で、何がどうなってるの」
「どうって、普通に春佳と佐土原君の仲良さそうだし、どこまで考えてるのかなあ、って。それだけよ」
しれっと言う卯実。というか、普通に何か企んでる風でもなくって、言ったとおり本当にそれだけ、なんだろうけど。
でもなあ。最近「結婚」て単語に衝撃を受けた記憶があってだね……。
「それで本題に戻るとして。春佳とはどうなりたい、って考えてるのかしら」
続けるんかい。いやまああたしも興味無いわけじゃないから聞き耳は立てる、っちうか参加はするけどさ。
「……だから、俺としては春佳は大事にしたい、としか今は言えないんだが」
「きっとその決意は未来においても変わりはないのよね?ふふっ、春佳も女冥利に尽きるってものよね」
「それでどうして品槻さんたちが嬉しそうなのかが分からないんだが……」
「そりゃ卯実も莉羽もハルさんの友だちなんだし、当然てものでは?」
それ以外の意図を覚えないでもないけれど……って思ったところで雪之丞と話し込んでる卯実と、ではなくてその隣で所在なさげにしていた莉羽と目が合う。
こっちを見ていた、のかなあ。すぐに逸らされたわけじゃないけれど、微かに目を伏せてから雪之丞に視線を向けていて、それはなんていうか……。
「おい、佳那妥。頼むからなんとかしてくれ……酔っ払った春佳を相手にするよりタチが悪い」
……ちえっ。何かを思い出しそうだったのに雪之丞からヘルプが入っちまったい。ていうか。
「ハルさんが飲酒?おいこらまさか酔わせて良からぬ真似をしようとしたんじゃ……」
「違う。その、なんだ。今年の正月に頂いてきたお下がりの御神酒を、春佳のやつ興味本位でぐいっといってだな」
「へー、やるじゃんハルさん。ていうか御神酒のお下がりだからって呑んでいいもんなの?」
「未成年は普通は口を付けるだけなんだが、うちの爺さんが悪ノリしてだな……春佳も断ればいいものをえらい興味もったみたいで、止める間もなく自分からいってしまった」
「ふぅん。ね、ハルカが酔ったところとか興味あるなあ。どんな風になったの?」
「知るか。二十歳になったら自分で確かめてくれ」
「教えてくれないと佐土原くんとハルカの結婚式で友人代表としてあることないこと吹聴するわよ」
卯実に加えて莉羽の追求に、勘弁してくれと苦笑しながら降参のポーズの雪之丞。
その辺にしといた方がいいんじゃないかなあ、と思いつつ、けどなんだか二人の真意が汲めたような汲めてないような。
ちょっとした予感とか期待とか、先の見えないことへのそこそこの不安だとか、そんなものがなんとなくあたしの口を止めていたんだろうか。
「ね、ね。子どもは何人欲しい?ハルカとそういう話したりしないの?」
「……頼むからそういうことを男のいるところで話さないでもらいないか……?」
「そうよ、莉羽。いくらなんでもはしたない。せめて結婚式はどこでどんな式を挙げたいか、くらいにしておきなさいな」
「………………」
年一くらいでしか見ない、雪之丞の本っ気の困り顔が、指で対面を指しながらこっちを向いていた。
「知らんて。なんかもう気の済むように答えてやればよかろ」
「おい」
んな目で見られてもなんかもうどうしようもなくて、雪之丞をこの場に巻き込んだ責任なんかどっかにうっちゃって、投げやりにそう答えた。だって二人とも変なテンションになってて、巻き込まれたらこわそーだもん。
「ふふふ、春佳のいないところで佐土原君をつかまえるなんてそう滅多にないチャンスだもの。この際たくさんネタを仕入れて春佳をからかう材料にさせてもらおうかしら」
「情報の出所が俺だとバレたら命に関わるからやめてもらえないだろうか……」
「へー、ハルカってそうなんだぁ。ね、ね、でも佐土原くんってハルカにベタ惚れなんだよね?佳那妥に聞いたんだけど。男の子から見てハルカってどんな女の子?どこが気に入った?結婚まで考えるくらいなんだからよっぽどだよねっ!」
いやしかし、問い詰められるのがイヤならとっとと逃げればいいだろうに、雪之丞もみょーうに義理堅いっちうか、ガマン強いつーか。
ただな、丸っきり思うところが無いってわけでもなかったんだろう。
いろいろ訊ねられて、んで流したり答えられる範囲内ギリギリで答えたり、あとハルさんには黙っててくれと懇願してたりしたんだけれど。
「………しかしな。品槻さんたちも結婚、結婚と高校生とは思えない話題を出しているが、そっちこそどう考えてるんだ?」
流石にこう切り返してきた時には。
「……………」
「……………」
二人とも、あんぐり口を開けたまま固まってしまって、そんで何を言えばいいのか、言葉がなに一つ浮かび上がってもこない風に、少なくともあたしには見えたのだ。
「…………済まない」
そんで雪之丞も、言ってしまったことを「しまった」と思ったように口元に手を当て、またもやあたしの方を見て「なんとかしてくれ」と懇願していた。
それにしても雪之丞らしくもない。済まない、なんて謝罪してしまったら、そのことについて二人が……あたしたちが、引っかかっていることくらい分かってる、って自白してるよーなもんじゃん。
……そだね。あたしでも気がついてしまったよ。
あたしたちがずうっと一緒にいられることの裏付けとして、「そういう関係」はちっとも役に立ってなんかくれない、ってことにさ。
ほんと、卯実と莉羽だけならともかく、雪之丞ですら気がつくっていうのに。
あたしの鈍さってのは昔っからちっとも変わらないんだよ。そして、大事な人を傷つけているんだ。
・・・・・
結局、なんだか謝った方がいいような、謝ったらまた何かが壊れてしまうような、そんな微妙で奇妙な雰囲気になってしまったので、それからしばらくして解散した。ちなみに支払いは、あたしの買い物のお釣りは使っていい、って話だったからそれで済ませたと言いたいけれど、少し足りなかったので三人で割り勘にしといた。もちろん、迷惑かけた雪之丞の分はあたしたちのおごりで。
それで、途中までは一緒だったりもしたけど基本的に卯実たちの家はあたしん家とは方向逆だし、雪之丞も途中でハルさんトコ行くみたいにして分かれてったから、あたしはそこそこ長い時間一人で考え事しながら、家に向かって歩いていたのだった。
考えることは結構あった。
やたらとはしゃいでいた二人が随分こだわっていた、「結婚」て単語……あたしには、さっぱり実感がなくて本当にただの言葉にしか思えない。
もちろん意味は分かってるよ。母と父がそうなって、兄とあたしが生まれた、ってことだし。
幼馴染みの二人がそういうことになることだってあり得る、っていうことも想像できる。
だけど、そのことで盛り上がってしまってる、あたしにとってこれから一番大事になる……かもしれない二人のことと、「そのこと」を合わせて考えてしまうと、やっぱり、なんだか……。
「きゃっ?!」
「うひゃあっ!」
そんなことを考えてたら自然黄昏れてしまって、そんで前も見ずに歩いていたのかもしれない。衝突、って言える程でもないふんわりとした感触にあたしは鼻を埋めることになってしまった。
「あ、あだだ……すっ、すみませんあたし前見てなくて……あれ?」
「い、いえこちらこそ少し考え事をしてて……あら」
鼻を押さえてペコペコ謝ってみたならば、相手は顔見知りだった。顔見知り、っつうか会おうと思えばいつでも会えるけど、そのためにはお金が必要なひと?……ってわざわざ不穏に言わんでもいいけど、とにかく、
「お店の外でお会いするのは初めてですね、お客さま」
「あ、あはは……ども」
ペシュメテの、いつもの店員さんだったのだ。ていうか、お店の外て言い方されるとまたなんか意味が変わってくるような。
「今日は店に行かれたんですか?」
「あー、まあいつもの二人と一緒に」
「いつもの……ええっと、結構お相手取っ替え引っ替えしてますけれど、今日はどのお二人です?」
「あのー、言い方なんとかなりません?」
口を尖らせて抗議したら流石にそこは謝ってはくれたので、「とびきりかわいい方の二人と一緒でした」と答えたところ、なんかぽわわわわぁん……って感じになっていた。その直後に、幼馴染みの男の子が乱入してきましたけど、と雪之丞のことを付け加えたら今度は軽く落ち込んでたけれど。いやもしかしなくてもこの人百合厨なんでは。あたしも人のこと言えないけどさあ。
「ああその、ごめんなさい。私、可愛い女の子が仲良くしてるのを見るのが好きで」
「それは分かります。ていうかあたしも同じなので同志ですね」
「ふふっ、私の友人にもそういう感じの子がいるんですよ」
「そういう感じ?」
「その、同じ大学の友人なんですけれど、家庭教師をしていた女の子といい感じになった女子がですね……」
「くわしくっ!」
「あら」
……その、なんつーか久々に百合アンテナがビンビンに反応してるんだが。いいのかあたし、寸刻前の悩みとかどっかにうっちゃって。




