第87話・平和とは、平たくなって和睦する、と書く
「それは何の冗談なの、佳那妥」
お話があります、ともったいぶって話を持っていき、伺いましょう、と前向きな返答を御下賜くださった母上の前で土下座したあたしの後頭部に、冷ややかな声がかけられた。
だがもう引き下がることは出来ない。
戦う理由が明白になった以上、例え勝ち目のない戦いといえども挑まねばならない時はあるのだ……って、初手から土下座しか武器が無いってのもなんだかなあ。
かといって、期末では成績を二桁に上げますぅ、とか〇〇大学に必ずや合格してみせますともさ、なんてのはリスクがでかすぎる。
結局土下座くらいが元手がかからず、かつ効果的な戦術ではあるんだよね。それでプライドなんか一切傷つかないわけだしぃ……うう、やっぱちょっと切ねえ。
「そのー、娘から伏して願い奉るのでー、なにとぞお話くらいは聞いて頂けないかと思いまして、その、はい」
「申してみなさい」
母もなかなかノリがいい。
取り込んでこれから畳もうかという洗濯物の山を横目でチラと見て、そんでそこに自分の下着があることも確認した上で、待ってろよみんな……あたしは、あたしは……勝ってみせるっ!!……と固く誓い、こう言上するのだ。
「……そのー、下着を買わないといけなくなったので、いささかご支援賜れないかと思いまして……」
「下着?」
怪訝な母の返事。こらあかんわ、と思いつつ無駄な抵抗をしてみる。
「いやそらもう、あたしとしては今まで通り十枚六百円のパンツとか三着で千九百八十円の上下セットとかでも別にええんですし女子高生がそんな派手な下着付ける必要なんかこれっぽっちも無いと思ってるんですけどー、なんかこう、友だちが。友だちがっ!(ココ強調)ぺぇがデカくなったのだしこれを機にもー少し人並みの下着にしたらどう?と呆れつつお節介やいてくださったもので。えーと」
「………」
「…………おい、母?」
一通り訴えを上げてはみたが、特に反応もなかったので面を上げて、スポンサーと目した御方のご尊顔を見上げてみる。
「………なるほどね」
したら、しばしの思案顔から転じて、ニヤリという擬音が聞こえてきそうな、妙に満足げな顔で見下ろしてきた………普段のあたしだったら「しめた!思うつぼやグシグシグシ……」などと不気味な笑い方してキモがられてうまくいきそーだった話もおシャカになる流れだというのに、今日に限ってはなんか母の態度にそこはかとなく不気味なものを覚えて、一度見上げた顔を再び伏せ、そして土下座の格好のまま体一つ分後ずさる。うーん、傍から見たらさぞかしキショい動きなんだろうな。
「面を上げなさい、娘」
「ははっ」
だが母は、お白州のお奉行様のごとき口調を崩さず、平伏するあわれな罪人よろしきあたしに、寛大な裁きを下すかのよーな温情味のある声色でこうのたまうのだった。
「……ここに一万円あります」
「はあ」
いつの間にか、母の右手では万札がひらひらしていた。
あまり見慣れない光景に、それが何を意味するのかさっぱり分からないあたし。
だってそれを小遣いでくれるとかありえないじゃん?……と、思ってたんだけど。
「事情は分かったので、これで下着とやらを買ってきなさい。最低でも三着分」
「…………はあっ?!」
「……なんで驚くのこの子は」
い、いや驚くに決まってんでしょーが。生まれてこの方、下着なんてぇもんに拘りの一つも見せたことのない娘が今さらどの面下げて「ちょっといいめの下着欲しいのでお小遣いくださぁい」とか訴えてやがんのよ、と自分でも思うもん。
「むしろ年頃の娘がそこまで身だしなみに気を配らない方が世間一般の常識からは外れてると思うんだけどねえ」
「はあ」
今度は気の抜けた返事になる。
だって、この母の口から「常識」なんて常識的な単語が出るなんて……。
「あてっ」
「いちいち口に出すんじゃないの、ったく」
どつかれた。まあアイロンでイワされたわけじゃないから大丈夫だけど……って、目の前にひらひらされる、万札。
「上下セットでニ、三千円くらいならまあまあなものが買えるでしょうが。お釣りは品槻さんたちとお茶でもしてきて構わないから、そうなさい」
「……いいので?」
「あんたにそんな気を起こさせるんだから、いい友達を持ったもんだと思って接待の一つもすべきでしょうが」
実際友だちどころの騒ぎじゃないんだが、とは流石に言えず、なんとなく母の目を見ることが出来ない気分だった。
なので、「ははー」と最後にもっかい平伏する道化を演じる態で目を逸らして、ありがたーく一万円を頂戴したのだった。
・・・・・
「……っていうことがあったのサ」
「ほんっと佳那妥ってお母さんと仲良いよね」
なんかみょーにえってぃ雰囲気になった翌日は、朝からいくらかぎくしゃくした空気だったけれど、昼休みに道化に徹して昨夜の母との会話をそう報告したら莉羽が面白そうにそう言っていたから、おどけた価値はあったんじゃないだろうか。まーたチチがどうのとかいう話になったらたまったもんじゃない。
「つーかさ、おばさんは別にカナには普通の母親してるけど娘の方が尋常じゃないだけだと思うんだけどな」
「おいおいハルさんよぅ、それじゃまるであの母が真っ当でどこに出しても恥ずかしくない完璧な母親みたいじゃないかよぅ」
「そうかあ?あーし的には娘の無軌道っぷりを上手にコントロールする出来た母親に見えるけど」
ま、おばさんも尋常じゃない方だとは思うケドな、というフォロー?にあたしは返す言葉もなく「むー」と唸るだけだった。というか、いつもの空気になったのってハルさんが一緒だからじゃないのか。うむ、持つべきは頼りになる親友、というより道化になったあたしの立場って。
「春佳は佳那妥の家族とは往き来あるの?」
クロワッサンサンド、というなんとも雅な感じの昼食を先に空にしていた卯実が、トンカツの卵とじとかいう漢メシをかっ食らってるハルさんに聞く。兄のこともあるのであんまあたしの家族のことなんか話題にして欲しくはないが、そこんとこに変にこだわってまた話をややこしくしたりは勘弁して欲しいところ。
というか、最近卯実と莉羽はだいぶハルさんとの距離が縮まっている。卯実は「春佳」と、莉羽は「ハル」とそれぞれ呼ぶような関係になっているのだ。
一方でハルさんは相変わらず卯実を「姉」、莉羽を「妹」とゆー、アンタ向こうはこんだけ距離詰めて来てるのにそれはどうなのよ、って呼び方してるんだけど、二人は二人で別に気にしてる風でもないから、この三人についてはこーいう距離感でこれからもいくんだろうなあ。
「んー、家族ぐるみ、ってわけじゃないけど、普通にカナん家に遊びに行ったりはあったしな。よくしてもらってるよ」
「ふうん」
話がそこで途切れたのは多分、興味が無いからというよりはハルさんが漢弁当のラストスパートに入ったのを察したからだろう。別に時間に余裕がないわけではなく、場所もいつもの人目を避けるよーな場所ではなく校庭の一角で、周囲にはご同輩もいるからそんなに目立っていたりはしない。
そういえば、新学年になってからは三人、あるいは四人で一緒にいてもあんまり露骨な視線に晒されることって減った気がする。露骨とゆーか、いかにも「声かけたれ」みたいな。
ハルさんにそう言ったら「慣れたんだろ」と素っ気なかったもんだが。そうかなあ、筋金入りのコミュ障のあたしが、他人の視線になれるなんてことあるとは思えないんだけど。
「ハルばっかりずっるいなあ。わたしたちだって佳那妥のお家と家族ぐるみのお付き合いしたいのに」
「家族ぐるみのお付き合い、なんてえもんをまともにやったらまた問題になりかねねー気がするんだが……」
「なんでよ。自分んちと結婚相手の家族が仲良くするのって当たり前じゃない」
ぶー!!
……その、誇張無しで、口の中にあったものを吹き出した。しかも飲み物じゃなくて固形物を。あああ、最後までとっといたプチトマトがー……。




