第86.5話・私たちの葛藤
「………」
莉羽の寝息はまだ聞こえてこない。
といって私もなかなか寝付けないのだから、私の寝息を莉羽に聞かれることもないのだ。
体をもぞりと動かし、ベッドの枕元の段になってるところに置いてある目覚まし時計のライトを点けて、時間を確認する。午前一時三十五分。当然だけれど、いつもなら私も莉羽も寝付いている時間だ。普段からの学習が大切、と佳那妥にも偉そうなことを言っている手前、例えテスト期間であっても、こんな時間まで起きていることはない。
そんな私が今日に限ってなかなか寝入ることが出来ない理由となると。
「……おねえちゃん、起きてる?」
「起きてる。眠れない?」
「……うん。昼間のこと考えてたら、寝られなくなっちゃった」
「そう。私も……同じ、かな」
昼間の出来事で目がさえてしまっているから、らしい。それも姉妹揃って。
「……ふふっ」
「どしたの?おねーちゃん」
その、昼間の出来事の一部を思い出して思わず笑いがこぼれる。
そんな私を怪訝に思ったのか、最近佳那妥の口調が移ってきた莉羽が、どこか舌っ足らずな言葉遣いで問うてきた。
「うん。昼間のこと、っていうと……どのことかな、って思ったら、短い時間だったのにいろいろあったなあ、って」
「いろいろ……まあ、そうかもね」
タオルケットに薄手の布団、という寝具を巻き込むように体を回すと、同じようにしてた莉羽と闇の中で目があった。
改めて、我が妹ながら可愛いと思う。
「……おねーちゃん、なんか目付きがあやしい」
怪しい、ってことはないと思うんだけれど。でも、嫌な様子ではなかったから、私は再び「ふふ」と微笑んで、思ったことをそのまま言った。
「今日は佳那妥のいろんなとこが見られたわ」
「………そうだね」
ほふう、となんだか熱めの息を吐いて、莉羽は目を瞑る。
思い出しているのだろうか。半裸になって、サイズを測られてた時にあたふたしてた彼女のことを。一体何を考えていたんだろうか。期待していた?何を?私たちと、睦まじくてホッとするような……佳那妥風に言えば、いちゃいちゃするような真似事を?
私だってそういう行為は嫌いじゃない。
けれど、日毎に募るのは、そんな子どものじゃれ合いだけで満たされることのない、激しい希求。あるいはもう、欲望と言っても差し支えないくらいの、狂気にも近い欲求。
それは時折狂おしく私の……私と莉羽の、胸の内を焦がし、表に現れようとする。
私と莉羽が、この世界で二人きりだと思い込んで、どこまでも堕ちようとしていた時に救ってくれた佳那妥への思慕はどんどん大きくなっていって、暮夜こうして布団の中で自分の肩を抱いていても、身を焼き尽くすようにも思えることがある。
愛する妹への思いを肯定してくれた彼女へ手向ける想いは、私と莉羽の間にあったものと同等の、あるいはそれ以上の意味を得た。
と、同時に、私と莉羽が佳那妥を求める心差しは、どこか危うさと儚さを伴っていたから、何かの切っ掛けを得て、それを形として自分たちと佳那妥の心と体に刻みつけたい、という想いも日に日に募っているのだと思う。
その、何かの切っ掛け、というものが、少し生々しいというか艶めかしい表現をするならば、佳那妥のまとう「匂い」っていうものなのかもしれない。我ながらはしたないことだとは思うけれど。
『わたし、佳那妥の匂いを感じたら、もう、こお……歯止めが利かなくなったっていうか、一瞬でも早く、このコと自分を同じ匂いにしたくなっちゃったんだよ』
おねえちゃんもそうだよね?……って、さっき寝る前にした会話の内容を思い出す。
どうして佳那妥が、怖がって泣き出してしまうくらいのことをしてしまったのか、その理由について私の思うところを述べたら、莉羽はこう言っていたのだ。その後、自分の寝具に鼻を埋めて何やら悩ましげな様子ではあったから、昼間自分のベッドの上での佳那妥を思い出して、妙な気持ちにでもなっていたのかもしれないけれど。
「ね、おねえちゃん」
今晩は六月の初めにしては少々冷え込む。だからなのか、莉羽はまた鼻のところまで布団を引き上げて、恥ずかしそうな声を上げている顔を、少し隠す。
そんな妹のことを、私は姉の心持ち、というよりも愛しい相手を愛でるつもりで見つめながら「なぁに?」と自分らしくもなく甘ったれた感じに、呼ぶのだ。
「今日の佳那妥、すんごくかわいかったよね……?怖がらせちゃったけれども……怯えてる佳那妥も悪くない、って思っちゃった。四条のこと悪く言えないなあ、って思うけれど……おねえちゃんはどう思う?」
「それは……私だって似たようなことは考えるわ。でもね、莉羽。流石に怯えた佳那妥がかわいくてしかたがなくって、いじめてみたいなあ、なんていうのは趣味が悪いわよ」
「うー……」
不満そうだった。実は四条さんや速瀬さんも似たようなことを言ってたらしいから、そう指摘してやれば少しは考え直すかな、とは思わないでもない。
でも、と思う。
私や莉羽が惚れまくるくらいに、いいことを凜々しく言葉にしてくれる佳那妥が時折見せる、あたふたしたところやずっこけるところを見て、なんだか一生懸命な小動物を愛でるような気持ちになることも、また事実ではあるのだ。
そんなところもひっくるめてそれが佳那妥の魅力だよ、ということは、莉羽と話して揃ってくすぐったい心持ちにもなる、二人の共有事項だ。
そして、と続けて思う。
大事にしたい、でももっと近付きたい、融け合うくらいに近付いて、ドロドロになって一つになりたい。
そう思うのも、嘘偽りのない、私と莉羽の飾らない本音だ。
だからきっと、自分の布団にある佳那妥の残り香に何やらもよおしてしまって、泣きそうな目でこっちを見ている莉羽の言いたいことも、よく分かる。
「……おねえちゃん……」
熱い息を吐くようにしてそう言った妹を、気の毒そうに見てしまった。
わたしの眼差しと交わった莉羽は、縋るように問いかけてくる。
「……わたし、なんだか切ないんだよ……ね、そっちに行っても、いい?」
そんな声を聞くと、たまらなくなる。
その懇願の意味するところは明白だ。
二人で、慰め合おうというのだろう。
佳那妥とそうなろうとして果たせなかったものを、私と成そうというのだろう。
私は佳那妥の代わりじゃない。けれど、莉羽のそんな想いを受け止めてあげたいとも思う。
でも。
「……だめだよ、莉羽。二人で約束したでしょ?もう、佳那妥のいないところでそうなったらいけない、って」
「でも……でもぅ……」
……泣き声だった。
なんだか、放っておいたらもう自分一人で慰めてしまうんじゃないか。
莉羽には、そんな刹那的なところがある。目を離せない。まだ。
仕方ないか。
ため息と思われないようにそっと息を吐いて、私は自分の掛け布団を持ち上げて、言った。
「……莉羽。少しだけ。私もね、ちょっと胸のとこが一人じゃ寂しい、って言ってる。だからほんの少しだけ、二人で一緒にいよう?」
きっとそれだけで意味は通じたことだろう。
とうとう涙がこぼれてきた目を拭うと、躊躇うことはなく、すすっ、と布地の擦れる音を静かにたてながら自分のベッドを降り、腕を上げて待っていた私の目の前にもぐり込んでくる。
同じベッドで寝るのはいつのこと以来だろうか。
でも最後にそうした時とは違って、莉羽はパジャマ姿の私の胸元に顔を寄せるだけにとどめている。それから、おねえちゃん、とくぐもった半泣きの声で呟きながら一瞬考え……私の背中に腕を回すことなく、もう少しだけ強く、自分の額を私の胸に押し当てていた。
「莉羽………せめて、一緒に佳那妥のことを考えよう?今は私たち二人きりじゃないって、一緒にいてくれるって約束してくれた、大切な人が私たちにはいるんだって、忘れないようにして、朝を迎えよう?」
莉羽は、私の胸に顔を埋めたまま頷いたようだった。
就寝時に着ける下着の存在を思いだすと、そういえば佳那妥の下着を買いに行く約束いつにしようかなあ、なんてズレたことを思い、そのお陰で一つのベッドで横になっていることもくすぐったいだけの行為に思えて、穏やかな朝を迎えることが出来たのだった…………結果的に夜更かしした形になり、朝はお母さんに起こされることになって少し焦ったけれど。




