第10話 口禍滅身の理を知る…いやそんないいもんじゃなくてな
弱った。
「何が?」
うん。莉羽を怒らせてしまってこの場合相談すべきは卯実だと思うんだけど、いかんせんあたしは姉妹百合の虜。卯実に相談なんかしたらその間莉羽はお姉ちゃんとくっつけない。それは本意じゃない。だけどこんなこと相談出来る相手は他にはー。
「私でよければ聞いてあげるけど。というか当事者だし」
「わぁっ?!……と、とと、っと」
びっくりして両手がバンザイ。そして舞い上がったパンの包みを、辛うじてキャッチ。危なかった。今日を最後に常食していた「釜揚げしらすのホットサンドwithからしマヨネーズ」の仕入をやめるよーに申し入れたから、これが人生最後の一品だったのに、こんなことで無駄にしたら勿体なくて死ねない……って。
「卯実……さんっ?!」
「さん?」
「……卯実」
「よろしい」
姉妹そろって反応がクリソツだった。というか姉妹だからそっくりなのか。
ちなみにここはいつもの第三講堂へと向かう、秘密の通路。いや秘密というかただ他に誰も通らない、ってだけなんだけど、その誰も通らないハズのところになんで卯実が?
「ふふ、どうしてお前がいるのか、って顔してるわね。莉羽がクラスの友だちに連行されちゃったから、代わりを捜してたの。お昼一緒にどう?」
「そりゃああたしでよければ大喜びで、と言いたいトコですけど、莉羽に悪いかなあ、って」
「莉羽に?どうして?」
「莉羽の大好きなお姉ちゃんを代わりに独占したら悪いにきまってるでしょ」
「そうなの?佳那妥も変なこと気にするのね」
そりゃあたしがソレを気にする理由はあなたたちに知られたらちょっとマズいですしぃ。
「あれ?でもなんで卯実はこっちに?自分のクラスのお友だちとお昼すればいーじゃないですか」
「莉羽の顔見に行ったのみんな知ってるもの。もう戻ったってぼっちは決まりだからね。じゃ、行きましょ」
「え。あの行くって、どこへ……」
「いつもの場所でいいじゃない。あ、あとね」
あたしの腕をとって先導し始めた卯実だったけど、立ち止まって振り返り、あたしの鼻先に指を突き付ける。わぉ、妹と同じことしてる。
「友だち。佳那妥だって、私のね」
でも、にっこり微笑んでそう言ってのける辺りは、やっぱり「お姉ちゃん」なんだなあ、って思わされるんだよね。
結局向かった先はいつもの場所だったんだけどね。あたしはほとんど毎日、莉羽とは昨日来たんだっけ。卯実と二人は初めてだなって、サンドイッチをもぐもぐしながら、ホコリっぽい椅子に腰掛けてお弁当を食べている卯実を見る。ちなみに卯実は椅子に座る前にハンカチかなんかで手や体の当たる場所を拭いていたけど、とてもあたしと同い年のじょしこーせーに思えない。
で、そのじょしこーせーさまは、寒そうな顔で冷えたお弁当をもそもそ食していた。
「こんな寒いところでいつもお昼食べているの?」
「流石に冬になる頃にはどっかに避難しますって。そろそろ潮時かなあ、とは思ってます」
「それがいいわよ……ううっ、なんかカップラーメンでも買ってきた方がよさそう……」
あんまりそーいうもの食べるようには見えないけど、宅配ピザを喜んで選んでいたところを見ると、意外にジャンク舌なのかな。親近感を覚えないでもない。あ、ちなみに昨日はお呼ばれはせずに真っ直ぐ家に帰っていたりする。お呼ばれする許可を得ようと家に電話したら、母上が電話の向こうで鬼の形相をしていたからだ。なんでそんなことが分かるのかって?そりゃあ被害者を十七年もやってればそれくらいお手のも……トラウマが呼び覚まされるからやめ。
まあとはやっぱり、姉妹団欒を邪魔したくなかったから、というのが大きいのかな。あたしにあんなとこを見られたばっかりに、ややこしいことになってるんだし。
「ふうっ、ごちそうさま。……それ、美味しいの?」
なんて考え事をしながら食べていたら、サンドイッチと紙パックのコーヒー牛乳だけ、という昼食あたしより卯実の方が先に食べ終わっていた。意外に食べるの早いのかなあ。
「……んっ、莉羽にも同じこと聞かれたんですけど……えーと、食べます?」
ひとの食べてるものなんか気になるのかなあ、と思いつつ、自分が囓ってるのと反対側の方を千切る仕草をしてみせると。
「そうね。じゃあちょっと失礼」
と、卯実は膝の上に乗せてあった弁当箱を机の上に置くと、体を伸ばしてあたしの手元に顔を寄せて。
「いただくわね」
……と、ぱくりといってしまった。あたしの囓った方を。え、ちょっ?!
「ん………んー…まあまあじゃない?莉羽からカロリー摂取出来て最低限栄養とれればいい、って言ってたって聞いたけど、時々なら食べたいと思うわよ」
「え……えー……」
思わず彼女のぱくっといったところと、彼女の顔を見比べて、固まるあたし。
そしたら、もぐもぐごっくん、とやって「どうしたの?」とすんごい不思議そうな顔になっていた。いやだってさ……。
「あ、あのぅ……いつもお友だちとかとは…こーいう真似をなさっているので……?」
「こういう真似って……あ、ああごめん、ちょっと図々しかったわ。莉羽とはいつもこんな風だからつい、ね」
いやいや、莉羽と、じゃなくてお友だちともこんなんなのか、って。だとしたらリア充の距離感あたしから見るとぶっ壊れてるレベルなんですケド……。
「ちなみにこんなはしたない真似、他の子にはしないわよ。……なんか佳那妥の顔見てると不思議とね。安心出来るからかな?」
ちろ、と唇の端についたマヨネーズをなめる仕草は、なんてーか蠱惑的とゆーかエロいとゆーか……うう、この人ほんとにあたしと同い年なんだろーか……というよりあたしほんとーにこの人と同い年なんだろうか、という難問が。難問というか自分で難しくしてるだけじゃん……。
「あれ?安心出来る……って嫌な言い方?じゃあ悪いひと、って言い換えておこうか?」
「ちっ、ちがますちがますっ!そういうのじゃなくて……あ、あうっ……」
にっこり笑いながらもう一度こちらの顔をのぞき込んでくる卯実。やっぱり距離感がぶっ壊れ。そしてからかわれているのが分かって、いつも通りの言葉が出てこないコミュ障に戻るあたし。
でも、なんだろう。この人にからかわれるのはとても……ほっとする。ふしぎ。
で、お昼を食べ終えてもまだ時間はあったので、相談というのをすることになった。ていうか、さっきの独り言を白状させられた。姉妹百合がどーのこーのとか莉羽がお姉ちゃんを嫉妬させたいとか、肝心なことはぼかして、まあ要するに莉羽を怒らせてしまったことを中心に、どうしてこーなった、ってことを。
「そんな理不尽なことで腹立てる子じゃないんだけれどなあ」
「それはあたしも同感なんですけど、莉羽に理由が無いならやっぱりあたしに原因があるのかな、って……」
「うーん……」
卯実は眉間にしわ寄せつつ考えてくれてるけど、一番肝心な情報抜きで正解導けっていうのも酷な話だよなあ。かといってここで全部ぶっちゃけるのも莉羽への義理を欠く気がするし。あとせっかくの美少女にそんな表情させてるのも申し訳ないし。
……考えに考えた結果、あたしは一計を案じた。要するに例え話にしてしまえばえーんだ。
何か話し出そうとしたあたしの気配を察してか、卯実はちょっと姿勢を正すような格好になって、こちらに向き直る。そこまでマジになる話でもないと思うんだけどなあ、と思いながら、あたしは口を開いた。
「えーと、卯実?これは例え話っていうかこーいう話があるってことにして欲しいんですけど」
「え?唐突にどうしたの?今の話と関係あるの?」
「いえ、直接関係はないんですけど、似たような話を聞いたことがあるので参考になるかなー、と」
「うん」
興味を持ったみたいで、僅かに身を乗り出す。相変わらずホコリっぽい椅子に腰掛けたまま。
「えとですね、とある人が割と難しい立場の人に恋的な感情を抱きました。ええっと……学校の先生と生徒の関係みたいな、ってじゃあこの場合生徒が先生に、ってことにしときます」
「うん。それで?」
「そーですね、生徒は先生が大好きで、先生の方も立場を抜きにすればまあ生徒のことは好きだといっていいです。でも生徒の方は自分が先生を好きなほどには、先生は自分を好きじゃないのかもしれないと思って、先生の気持ちを試してみようとしたんだそうです」
「また面倒なことをするのね、その生徒さんは」
「あー、まあそこら辺は恋する少女なりのめんどくささといいますか」
「女子生徒なの?先生は男の人?」
「……そこはノーコメントで」
あやうくリアル寄りの設定追加してしまうとこだった。あぶないあぶない。
「で、狙いは成功して先生の態度にもちょっと変化がありました。どっちかっていうと生徒が望んだ方に。めでたしめでたしと言いたいとこでしたけど、生徒の方はなんだかそれでは十分じゃないみたいで、気持ちを試すのを続けてみようというんです。それ、なんででしょうね?」
我ながらとりとめの無い話になったなあ、と思ったけれど、卯実はふんふん頷きながら聞いてくれていた。
で、話し終えたら腕組みをして頭を右に左に二度、三度と傾げて真剣に考えてくれてもいた。
これで自分と妹の話だと気付いた気配が……あんまりないのは、あたしの例え話が上手かったのか上手くなかったのか。
「うーん……よく分からないけど、その生徒さんは、先生の気持ちを試すのが楽しかったのじゃないかな」
そして、考えた末に出てきた解釈は、まあまあ妥当なものだったと思う。
「……それはあるでしょうね、もちろん」
「あら?あまりお気に召さない回答だった?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど。ただ、生徒は先生が自分を好きなのは割と確信持ってるという設定なので、試すこと自体には意味がないというか……試すこと自体が楽しいかっていうと、まあそれはあるでしょうけど」
「でも試すことって、相手に対しては誠実じゃない部分もあると思うの。その生徒さんがどういう子かは分からないけれど、本当に好き合っているのなら試すの試さないのって負担になるんじゃないかな。だから、楽しんでいた、っていうのは別に悪いことじゃないと思うの」
それはそうかも。そんな疑心暗鬼に陥ってたら好きとか恋とかって重荷になるだろうし。それにただでさえ莉羽と卯実の関係って、重いし想いも多いし、ね。
「あるいは、試すっていうのがどういうことをやってるかによるけど、試すことよりも、その試すためにやってること自体がいつの間にか楽しくなってしまった、とか。目的と手段が入れ違ってしまうことってあるんじゃないかしら」
ふむん。それはまああるか。今回の莉羽に例えると……えーと、それってあたしを構うのが楽しくなって…………。
「どうしたの、佳那妥?なんか緊張して」
いやいやいやいやいや、それは無い無い無い無い。こんなしょーもないコミュ障の引っ込み思案のオタク女を構って楽しいとか校内一の美少女のリア充の姉妹百合の女神さまがありえない無いない無いっ!!
あたしは頭をぐるぐる振って、ついでに両手を頭の上でぶんぶん振って、小っ恥ずかしい妄想を打ち払う。そう、妄想。姉妹百合の女神さまが気まぐれで微笑んでくれたのは、きっと今まで自分の周りにいなかっただろう存在を見ておかしくなった、というだけのこと。うんそう。あたしごときが勘違いするとか不遜に過ぎるわー。
「どうしたの?」
「わひゃぁっ?!」
か、考えこんでいたら耳元で卯実の声……うう、温かい息と共になんばしよってくれんですかこのひと……。
「急に顔が赤くなったと思ったらいきなり暴れ出すんだもの。何かの発作だと思うじゃない」
「あー、あたし健康にだけは自信あるんでだいじょーぶです。昔っから二階から落としてもケロッとしてる、って親にも言われてますし」
「だ、大丈夫なの?」
「別に本当にされたわけじゃないですよ。てかうちマンションなので二階ありませんから」
「そういう意味じゃないんだけど。で、体調は問題ないの?顔色は……ここじゃよく分かんないけど、寒くなってきたからそろそろ戻る?」
「そうですね……」
まあ相談というか追求もこの様子ならうやむなになりそうだ。
あたしはいつものサンドイッチの包み紙と空になった紙パックをビニール袋に放りこんで口を縛った。これが最後のしらすホットサンドだと思うと若干の感慨が無いでもない。そういえばこれが二人との縁の馴れ初めだったんだよなあ………今度購買のおばちゃんに、どこで買えるか聞いておこ。
そんで、講堂の出入口の扉から外をうかがい、渡り廊下に人影がいないことを確認して扉を開けた時だった。
「あ、そういえば『しまいゆり』って何?あたらしい花の品種か何か?」
………人間て、ほんとにヤバい指摘された時って体が硬直して動かなくなるもんなのだな。指一本どこらか唇の端も動かせなくなったあたしは、「よいしょ」って感じに扉を開いて先に講堂を出た卯実の、怪訝な視線と「どうしたの?」って声でようやく我に返る。
……そうか、そーいやこの会話のそもそもの発端はあたしの独り言を聞かれたところからだったっけ………………このクセ早く治せってハルさんにも言われてただろーがあたしのアホーっ!!
「佳那妥?」
「ささささぁっ?!新種の新興宗教のことじゃないですかねあたし知りませんけどっ!!あああそれじゃもうすぐ授業始まるのであたしはこれでまたあしたーっ!!」
「ちょっと佳那妥っ?!」
なんか卯実に呼び止められていた気がするけれど、そんなもの振り切って逃げ出すしか出来ないあたしであって。ああ……明日からどこかの妹みたいに口枷はめて登校しよ。それはそれでドン引かれるかもだけど、あたしには今さらだー。




