『若い読者のための短編小説案内』
得意のブックライブの試し読みで、村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』の最初の序文を読んでみた。
僕にとっての短編小説──文庫本のための序文
この序文で村上春樹は、自分自身を基本的には長編小説作家だと見なしているといっている。数年に一冊のペースで長編小説を書き、ときどきまとめて短編小説を書き、小説を書いていないときには、エッセイや雑文や旅行記のようなものを書き、その合間に英語の小説の翻訳をやるらしい。さらに長編小説という容れ物にもっともぴったり自分を収めることができると、かなり切実に感じているとも。
しかし現実問題として、長編小説を一冊書き上げるにはずいぶん長い時間がかかるし、多大なエネルギーを必要とするため、3年に一冊を書くのが精一杯なのだとか。
それに比べると、短編小説を書くことは多くの場合、純粋な個人的楽しみに近く、とくに準備もいらないし、覚悟みたいな大げさなものも不要。アイデアひとつ、風景ひとつ、あるいは台詞の一行が頭に浮かぶと、それを抱えて机の前に座り物語を書きはじめる。とくにプロットも構成も必要ないという。
「その女から電話がかかってきたとき、僕は台所に立ってスパゲティーをゆでているところだった」
という一行から書きはじめ、実際に『ねじまき鳥と火曜日の女たち』という短編小説ができあがった。そして5年ほど経過してから、その物語には短編小説という容れ物には収まりきらない大きな可能性が潜んでいるのではないかと強く感じ、2年の歳月ののち、『ねじまき鳥クロニクル』という作品に結実したという。
2千枚近い枚数の、かなり長大なフィクションが、「その女から電話がかかってきたとき、僕は台所に立ってスパゲティーをゆでているところだった」という一見なんでもない一行から、思いもかけず長編小説が生まれることになったらしい。
ほかにも同じように、『ノルウェーの森』は『螢』という短編小説を発展させて書き、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、『街と、その不確かな壁』が下敷きになったという。
この序文は上記のこと以外にも、村上春樹の短編小説に対する考え方や姿勢が語られていてとても面白かった。 ──ブックライブの試し読みは無料で有意義──
皆さまは、短編小説を書くとき、あらかじめプロットや構成を考えていますか?
「その女から電話がかかってきたとき、オレは台所に立ってカップラーメンにお湯をそそいでいるところだった」
という一行から、今度書きはじめてみようかな?
昨日2日、羽田航空機事故が発生し、元日には能登半島地震が起き、新年早々から大きな事象が続いている。
オレはふだんと変わりなく、愛犬シーズーのシーと一緒に寝ながら酒を飲み、YouTubeでニュース報道を観ている。もう少ししたら、シーと薄明のなかを散歩に出かけよう。きっと底辺から色づく東の空が、なにかを語ってくれるはずだ。