『懐かしい年への手紙』第三部 第四章「懐かしい年への手紙」
『懐かしい年への手紙』第三部 第四章「懐かしい年への手紙」を読了した。
大江健三郎のノーベル文学賞受賞対象作品の一つである『懐かしい年への手紙』は、この章をもって幕を閉じる。この長編小説を読まれる方はほんとうに稀であろうが、最後の章のあらすじを記すのは差し控えておこう。
『懐かしい年への手紙』は、Kちゃんこと大江健三郎の自伝的な小説であるとともに、もうひとりの主人公ギー兄さんの生涯を描いた物語でもあった。今となっては、遠いむかしの幻のような60年安保闘争を、大江は忘れていなかった。 ──『懐かしい年への手紙』は1987年の発表であるから60年安保闘争から17年が経過している──
日比谷公園から国会議事堂へのデモ行進にKちゃんの新妻のオユーサンが参加しているのではないかと、その身を案じたギー兄さんが隊列に加わると、突然乱入してきた右翼団体の暴漢に硬い稜角のある武器で右側頭部を殴られてしまう。頬をおしつけた地面にしたたる血と、小さな雨粒が濡れた土埃りをはじき、スプーンのかたちの葉の草を震わせるのをまぢかに見ながら、ギー兄さんは大きな憤怒が居すわっているのを自覚したのだが……
安保闘争=憤怒、どこへ向かっていいのかわからないこの憤怒こそが忘れてはならないことなのだ。空想的な世界にとどまることを否定し、フィクションであっても時代を認識し、時代背景を描くことを大江は忘れていなかった。この長編小説において、たとえ一面にすぎないとしても安保闘争に揺れた時代を描くことが、もう一つの重要なテーマであったかのように……
『懐かしい年への手紙』は、大江の小説にしては平易な文章で読みやすい反面、『同時代ゲーム』などの難渋な文章に接してきたものにとっては物足りなさを感じるかもしれない。もっともダンテの『神曲』からの引用は非常に難解であったが……
大江は妥協することなく読者にある一定の知的レベルを求めている。誰しもが理解できる小説を書いている訳ではない。限られた読者しか得られないことを自覚しつつも、自分の求める小説を描き続けているようだ。
──ギー兄さんよ、その懐かしい年のなかの、いつまでも循環する時に生きるわれわれへ向けて、僕は幾通も幾通も、手紙を書く。この手紙に始まり、それがあなたのいなくなった現世で、僕が生の終わりまで書きつづけてゆくはずの、これからの仕事となろう。──
大江の小説のなかで、ギーという名前の人物は、1969年発表の短編集の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』にも、森の隠遁者ギーとして登場している。名前は同じでもまったくの別人として描かれているのだが……
今のところ、次に読む大江健三郎の小説は、2000年発表の『取り替え子』にする予定だ。大江の義兄伊丹十三の自殺を取り上げた長編小説である。
今晩もエアコンで温められた部屋で日本酒を飲み、愛犬シーズーのシーの寝息を聴きながらこのエッセイを書いている。今朝は強風のためシーとの朝の散歩は中心にしよう。