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心の眼



 東の空の底辺がやや赤みを帯び、一点の()みもない薄青い空が360度ひろがっている。垣根付きの舗道を愛犬シーズーのシーは寸胴の身体(からだ)でよちよち歩き、オレのショルダーバッグの中のiPhoneからは、辻井伸行のピアノ演奏が流れていた。その(つむ)ぎだされた純真な音色は、まわりのスズメたちのさえずりとともに朝の散歩の定番のBGMだ。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が終盤の第3楽章を迎えると、オレは薄青い透明な空を見上げ、盲目の彼の「心の眼」を通した純真でまっすぐな ──神の存在を身近に感じる── 演奏に目頭が熱くなった。

 シーが振り向いて、そんな涙ぐんだオレの顔を不思議そうにじっと見つめる……


 オレが辻井伸行のことをはじめて知ったのは、2009年、彼がアメリカのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した時だった。

 連日、テレビニュースでコンクールの模様が取り上げられ、早朝、オレは出勤の準備をしながら、若干20歳の盲目のピアニストを応援した。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を、一心不乱で演奏し終えると、会場の観客は総立ちとなり惜しみない拍手が鳴りやまなかった。そして見事、日本人で初めてのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝を果たした。

 感激のあまり、オレは優勝した模様のテレビニュースを何度も繰りかえし観た。涙を流す母親のいつ子さんの姿に、オレも涙を(こら)えきれなかった。

 さっそくテレビでは、彼のそれまでの人生を振り返る特集番組が放送され、母親のいつ子さんの愛に(はぐく)まれた二人三脚の奇跡の数々を知った。生まれてから3日目、眼科医から先天的な全盲の小眼球と診断されたことも……


 ──でもあの笑顔を見ていると、二人で死ぬなんてこととても考えられない。


 クリスマス・ツリーも私の顔も一生見ることができないのか、と泣き崩れた日もあったといつ子さんは振り返った。


 しかし2歳を迎えたクリスマスの頃には、(たぐ)(まれ)な聴音能力によって、子ども用のピアノですでに35曲のレパートリーがあったという。


 ──ぼくは目が見えないんだね!


 いつ子さんがなんて答えようかと思ったらすぐにまだ幼い彼はいった。


 ──でも いいや 僕ピアノが弾けるから。



 恩師の川上晶裕のレッスンのもと、驚異的な聴音能力を発揮しながら、その才能は開花してゆき、作曲家の三枝成彰や指揮者の佐渡裕との出会いや、歴代最年少の17歳でのショパンコンクールへの挑戦など確実に成長を遂げて行った。

 将来楽しみな少年ピアニストがいる、と作曲家の三枝成彰から紹介された、モスクワ音楽院の教授のピアニスト、故ワレリー・カステルスキーはこんな言葉を残した。


 ──ノブユキは演奏がうまいだけではなく音と心が美しい。世界最高のピアニストになれる!


 また指揮者の佐渡裕は、彼の演奏したCDをはじめて聴いた時の驚きを語っている。


 ──音に向かっている彼の姿。音楽の神様が本当に彼を守っている。作曲家の思いの世界。もっと複雑な感情の世界。彼は、直でその世界に繋がっている!


 そして伝説のピアニストの故ヴァン・クライバーンは、コンクールを終えて彼を奇跡のピアニストと讃えた。


 ──彼の演奏には神の存在が感じられました!



 今朝もオレは、白とゴールドの体毛が朝陽に輝き、寸胴の身体でよちよちと歩くシーと一緒に、昇りはじめた朝陽を感じながら、辻井伸行のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いている。




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