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『懐かしい年への手紙』第二部 第八章「感情教育(二)」



 『懐かしい年への手紙』第二部 第八章「感情教育(二)」を読了した。


 世の中のさまざまな出来事や事件は、くもりなきまなこで見定めなければ真実は見えてこない。さらに、真実を見定めようとする強い意志がなければ見えてこない。


 二月の終わりに、都心の二流どころのホテルでKちゃんとオユーサンは結婚式をあげた。出席者が10人にみたない小規模なものであったが、四国の森から出て来てくれたギー兄さんは、宴会が始まるとすぐ指名を待たずに立ちあがってスピーチをした。祝宴の雰囲気にそぐわぬ・しかし真情こもったスピーチは、一種予言的な忠告の典型であったため、とくに新婦側の出席者の顰蹙(ひんしゅく)をかった。 ──結婚したのは「安保闘争」の年の1960年だった──

 二月に結婚したKちゃんは、早くも五月にはオユーサンをひとり東京に残して、中国へ行く日本文学代表団に加わった。ところがKちゃんが中国を旅している間、ギー兄さんは過剰な「想像力」を働かせて、新婚のオユーサンの身の上をひたすら思い上京した。国会で安保条約審議が白熱し、議事堂の周りのデモの回数が繁く・層が厚くなっていた。Kちゃんの家に電話しても留守なため、ギー兄さんは、時事的エッセイを書きつづけているKちゃんの意を体してオユーサンが反・安保のデモに加わっているに違いないと考えた。

 新橋駅近くの喫茶店に座って、雨のなかを日比谷公園へ歩いて行く、若者から壮年の男女の市民を眺めていると、聖ヴェロニカの聖布のキリスト像を見るためにピエトロ教会へと街路を進む巡礼たちのことがギー兄さんの頭に浮かんだ。そしてギー兄さん自身も人々の大きい動きにしたがって日比谷公園へと歩き出す。若わかしい粗野さをあらわす機動隊や右翼の暴力団が注視する行列のなかに、オユーサンがいるのならと……

 そう考えた時、暴漢どもが隊列に殴り込んで来た。新劇団のグループの隊列に加わっていたギー兄さんは、暴漢から新劇女優の背後をまもりながら、棒のような武器によって右側頭部を一撃されてしまう。頬をおしつけた地面にしたたる血と、小さな雨粒が濡れた土埃りをはじき、スプーンのかたちの葉の草を震わせるのをまぢかに見ながら、ギー兄さんは大きな憤怒が居すわっているのを自覚した。


 のちにギー兄さんは、このとき憤怒のなかで他人どもの攻撃に対して怒りを昇華する人間を思い描いて、そこへ同化しようとつとめながら、じつは沼なかで泥まみれになって怒っている者のイメージにとらえられていたと語った。ダンテを思い出すことをつとめながら……

「地獄第七曲」の詩句を。


 《(ひぢ)の中にて彼等はいふ、日を喜ぶ麗しき空気のなかにも無精(ぶせい)の水気を衷にやどして我等鬱せり/今我黒き泥水(どろみづ)のなかに鬱すと、かれらこの聖歌によりて喉に(うがひ)す、これ全き(ことば)にてものいふ能はざればなり》


 この章では、60年代「安保闘争」という時代背景と、《憤怒》という言葉に惹きつけられた。まだオレは生まれていなかったため、実際に60年「安保闘争」がどのようなものであったかわかるはずもないが、戦後復興へ向かう日本社会で育った彼らは、間違いなく今の若者とは違うだろう。

 また《憤怒》のうちから新しく立ちあがるイメージは、ほかの大江の作品でもみることができる。たとえば、長編『洪水はわが魂に及び』や短編連作集『新しい人よ眼ざめよ』などである。

 戦後から高度成長期へとつながる時代にそって物語はさらに佳境(かきょう)へとすすんでいく。



 今晩もエアコンで温められた部屋で日本酒を飲みながら、愛犬シーズーのシーを寝息を聴き『懐かしい年への手紙』を読む。派閥パーティーでのキックバックのニュースに接し、長い間日本が薄汚れた政治家によって主導されてきたことに、《憤怒》と絶望感を感じた。




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