果たし得ていない約束
『果たし得ていない約束ー私の中の二十五年』は、三島由紀夫の実質的な遺書、決別状としての意味合いをもつ評論・随筆とされている。
三島由紀夫が、戦後25年を振り返り、自らの生き方を全面的に否定しながら、容赦のない戦後日本への断罪が込められている。戦後を代表する作家として三島を喝采・支持した戦後日本と、「作家にして寵児であった自分の存在、生き方」を明晰さゆえに、容赦なくしかも徹底的に否定している。
一方で三島は、とても興味深いことに、これからの日本にたいして希望をつなぐことができない、このまま行ったら「日本」はなくなってしまう、という警鐘のようなことも語っていた。
無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらうと。
それでもいいと思っている人たちと、三島は、口をきく気にもなれないと言っていたのだから、もはや現在のほとんどの日本人は、口をきいてもらえないだろう。
経済大国というアイデンティティも危うくなってきている今日の日本において、50年も前に三島は、痛烈なアイロニを語っていたのだ。
確かに、極東の一角に或る経済大国は残ったようだ。三島が予想した通りの、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない経済大国が……
今晩もエアコンで温められた部屋で日本酒を飲み、愛犬シーズーのシーと一緒に寝ながら、YouTubeのニュースを観ている。政治資金パーティー券収入を議員にキックバック。もはや自民党は解体すべきところまで来ているようだ。