『懐かしい年への手紙』第二部 第五章「性的入門」
『懐かしい年への手紙』第二部 第五章「性的入門」を読了した。
東京大学の受験に失敗したKちゃんは、ギー兄さんの屋敷に通って受験勉強に励む生活を続けていた。まだ十代の頃にギー兄さんの父親のお手掛けであったセイさんが、復員してきた大企業のサラリーマンに嫁入りしたものの ──頭をスカーフで巻き、肩の張った白いブラウスに裾の幅をゆったりとった長いスカートを蹴りたてるようにして、村では他に見ない洒落た服装をしていた── 幼いオセッチャンを連れてふたたびギー兄さんの屋敷に戻り、いかにも自然な様子で立ち働いていた。
夏になり、ギー兄さんの大学の同級生だったももこさんと律ちゃんという女性が一夏を過ごしにギー兄さんの屋敷にやってきた。目的はももこさんが同棲相手と別れ国外へ出る計画を立てたことにあった。かつて恋愛関係のあったギー兄さんと結婚して一緒にイギリスへ私費留学したいと……
新制中学三年の夏に、ギー兄さんとセイさんからマスターベーションの実技を受けたがうまくいかなかった経験があるKちゃんに対して ──亡き祖父の隠居所に滞在しているももこさんに夜這いをかけているギー兄さんに、セイさんは苛立っているのらしい── セイさんがマスターベーションができるようになったかと問う。単純に反撥したKちゃんが、精液をセイさんの顔にとび散らせてマスターベーションをしてみせたのち、再度勃起すると、今度はセイさんにみちびかれて初めて性交をする。白い乾いたような下腹部の皮膚に、淡い墨色の繊細な陰毛がこびりついていたのが印象にきざまれもした…… ──淡い陰毛と豊かな尻がこの作家の性的な基本イメージをなすという批評を受けたらしい──
こうしてKちゃんは、この午後遅くの経験をつうじ格段に大人になった気分で家路へ、薄暮の谷川沿いの道をゆっくりくだって行ったのだった。
この章では、ダンテの『神曲』についてもギー兄さんの言葉を通して語られていた。
──ダンテとヴァージルが地獄へ降りて行くのは左廻り、煉獄の山を登って行くのは右廻り
また『ハムレット』の言葉もやはり邦訳なしに引用されていたため、すっかり英語から離れているオレは、Googleで検索しなければならなかった。
O, that this too too solid flesh would melt, /Thaw and resolve itself into a dew!
ああ、この固い肉体が溶けて 分解して露となればいい。 ああ、永遠なる者が自殺を大罪とする。
この『ハムレット』の言葉がギー兄さんの口から発せられたのは、艶の良い髪を短く切ったももこさんのモダンな美しさに惹きつけられてもいたが、いつも5歳年長で言い負かされていたKちゃんが反論するようなことをいいだしたことへの、思いやりをあらわしてとりなしたときだった。
そうして律ちゃんが『ハムレット』の第一幕、といって言葉をつづけた。
──すこしでも自殺のことを考えたことがあって、その後で『ハムレット』を読んだらば、この行と続きの行は、誰でも胸にきざまれるのじゃないのかなあ。
その続きを、すぐさまギー兄さんが口に出した。
Or that the Everlasting had not fix'd /His canon 'gainst self-slaughter! O God! God!
掟を定めなかったらよかったのだ。ああ神よ、神よ。
オレはシェークスピアを読んだことがないし『ハムレット』のこともよく知らないため、これらの言葉が発せられた場面はわからないが、シェークスピアに慣れ親しんでいる方には、自殺について語られるている当の言葉の場面や真意がわかるのであろうか?
今晩もエアコンで温められた部屋で、愛犬シーズーのシーと一緒に寝ながら日本酒を飲み本を読んでいる。小雨が降っているためシーが大好きな散歩には行けないだろう。残念だけど……