『懐かしい年への手紙』第二部 第三章「キウリと牛鬼、イェーツ」 PART2
敗戦まもなく復員兵が谷間の村へ戻ってきて行われた秋の牛鬼祭りで、割り竹を組んだ囲いに墨で染めた布をかぶせて牛の胴体を造り、黒い大頭をつけ、二十人もの若者がなかに入って担ぐ牛鬼が、谷間から「在」へと駆け登り、駆け降り、川向こうのお庚申様の別宮をひとめぐりして神社へ戻る。門構えの立派な家の前で貴重品の酒や料理をふるまわれているうち、やがて牛鬼は、あきらかにギー兄さんの家をめざしはじめた。牛鬼がギー兄さんの屋敷に向かって急な坂を登っていくと、長屋門の前に、まだ十六歳の少年が片手に白い棒を持ってフラリと立ちふさがった。低く頭を突き出して近づいた牛鬼は、その鼻面を少年の胸のシャツに触れるほどであったが、そのまま牛鬼は、ありあまる力をたわめるようにして立ちどまり、坂道を後退りに降りていった。
ただひとりで追い払ったのはギー兄さんだったが、それは単にあの屋敷に住んでいる少年の力のみではなく、森の高みの樹木の根方の「壊す人」の魂が降りて、少年の躰に入り、加勢していたのだった。 ──少年が白い棒のように見える研ぎ澄ました刀を提げていたのは、戦争に負けてすぐ、谷間と「在」の人間が森のきわに油紙に包み木箱に入れて埋めたはずのものから、おそらく「壊す人」が森から運びおろして渡したのだろう──
オレはこれらの緊迫した場面を読みすすめながら、爽快な感動に包まれていた。ギー兄さん自身、なにより「壊す人」を迎える花嫁として、白粉や紅を塗り、結婚衣装を羽織っていたのだから……
また進駐軍のジープが、敗戦の年の秋の午後、川筋の登って来たおり、村役場から呼び出されたギー兄さんが、ものを聞きたがる若い進駐軍兵士から ──川筋のいちばん奥のこの村が、維新以前には独立した位置を占めていたのは本当か、それならばそれはいったいどういう理由からか── と尋ねられた。それに対してギー兄さんは ──この村は、明治維新よりはるか前、川下の城下町から逃げて来た若い人たちが建設し、それから長い間、人びとは外部から孤立して暮らして来ました。それが可能だったのは、この村が大きい森のなかの離れ島のような地形であるからです── と若い進駐軍兵士を納得させたのだった。
さらに若い進駐軍兵士が、村の歴史を研究して著作にあらわすといいとすすめると、ギー兄さんは、ずっとそのことは計画してきた。自分が研究し・友達が本に書くはずだと答えたのだ。そしてその若い兵士は、きみやその友達のような人間のことが書いてあるとして、英詩のアンソロジーをくれたのだった。のちにギー兄さんと主人公のKちゃんが、自分たちのことだと選び出した詩句こそが、前記の詩だったのだが……
息を呑むような展開がつづき、オレはとても面白くて嬉しくなった。あさま山荘事件を描いた大江健三郎の連作短編集『河馬に噛まれる』もとても面白くて嬉しくなったが、さらにこの長編『懐かしい年への手紙』は、主人公のKちゃんの生涯の年長の友としてのギー兄さんが、両性具有のように美しく、しかも「壊す人」が降りてくるような存在としてますます神秘的になってきた。さらなる想像を超えた物語の展開が楽しみだ。
ギー兄さんの友達の、Kちゃんこそ健三郎なのは言うまでもないが……
明け方、愛犬シーズーのシーと散歩をしていると東の空に金星が輝いていた。聖書の最後にイエスのことが明けの明星(金星)として象徴的に表されているのを思い出しながら、シーに声をかけると、シーはオヤツがもらえると思っておすわりをした。まん丸のまなこでじっとオレを見上げる神の子に、オヤツを手のひらに乗せて食べさせた。
──シー見てごらん! 東の空が赫く染まって金星が輝いているよ!
E quindi uscimmo a riveder le stelle.
──ダンテ『神曲』地獄篇の最後の行──