『懐かしい年への手紙』第二部 第三章「キウリと牛鬼、イェーツ」 PART1
大江健三郎の長編『懐かしい年への手紙』第二部 第三章「キウリと牛鬼、イェーツ」を読了した。この章もとても興味深い内容だった。
オレが小説を読んで、これは面白いと嬉しくなる作品に出会うことはごく稀なのだが、今まで大江健三郎の多くの小説からそう感じられてきたことは、彼の作品と波長が合うということか?
以前、話題になった村田沙耶香の芥川賞受賞作品『コンビニ人間』を電子書籍の試し読みで読みはじめたところ、主人公の古倉という女性がコンビニ店員として生まれる前の、幼い頃のエピソードが二つ紹介されてあったが、オレはそのエピソードに大きな違和感を覚えて、その後を読みつづけることができなかった。
郊外の住宅地で生まれ、普通の家に育ち、普通に愛された主人公の恵子は、少し奇妙な子供だったらしい。公園で死んでいた小鳥を囲んで子供たちが泣いているなか、小鳥を掌の上に乗せてベンチで雑談している母親の所へ持って行き、「これ、食べよう」「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」と言う。また、小学校に入ったばかりの時、体育の時間に男子が取っ組み合いのけんかをして騒ぎになった際も、「誰か止めて!」という悲鳴に、スコップを取り出して暴れる男子のところに走っていき、その頭を殴った。 ──「止めて!」という悲鳴から、スコップで殴って止めようとしたらしい──
??? 素直に受け入れることができなかったオレは、これらのエピソードに無理を感じた。いかにも変わった子供として描きたいあまり、普通では考えられないエピソードをとってつけた感が拭えなかった。非常識過ぎて、作者の作為についていけなかった。 ──違和感なく読まれた方がほとんどで、オレがヒネクレテイルだけかもしれないが── これはひとつの例であるが、違和感なく面白いと感じながら読みすすめられる小説に出会えることは、そう多くはない。
あらためて、今回読了した第二部 第三章「キウリと牛鬼、イェーツ」は、とても興味深い内容であり、イェーツの次の一節が読み解かれるような展開だった。
父祖たちが家郷と呼んだ谷間から、離れることはないものと/むなしくたてた子供の誓いを思っている……
つづきはPART2で……
愛犬シーズーのシーの寝息を聴いていると、不思議なことにシーが宇宙からの使者のように感じる。まさにシーがこの地球の救済者のように……