『斜陽』その2
Wikipediaによると、太宰は妻子を連れて津軽の津島家、現「斜陽館」に疎開し終戦を迎えた。GHQの農地改革のため、大地主だった津島家も人や物の出入りがなくなりがらんとした様子だったという。太宰はまるでチェーホフの『桜の園』ではないかと感じ、生家を帝政ロシアの没落貴族になぞらえ『斜陽』というタイトルの小説の執筆を決意する。
疎開先から東京へ戻った太宰は、翌年に主人公かず子のモデルになった太田静子に会うため、神奈川県の下曽我村の山荘を訪ね、静子の日記を借り受け『斜陽』の執筆を開始した。 ──執筆中に、静子が太宰の子を妊娠したことを知る──
かなしい、かなしい恋の成就。
上原さんは眼をつぶりながら、私をお抱きになって、
「ひがんでいたのさ。僕は百姓の子だから」
「私、いま幸福よ。四方の壁から嘆きの声が聞えて来ても、私のいまの幸福感は、飽和点よ。くしゃみが出るくらい幸福だわ」
上原さんは、ふふ、とお笑いになって、
「でも、もう、遅いなあ。黄昏だ」
「朝ですわ」
弟の直治は、その朝に自殺していた。
まだ高校3年生のオレにとって、直治が自殺した衝撃は、17年間生きてきて味わったことがないほど大きかった。しかしながらオレは、つづく直治の遺書を、静謐な空間に入り込むように、ゆっくりとひとつひとつの言葉を噛みしめるように読みすすめた。まるで直接、直治と対話しているかのように……
ママのかたみの麻の着物。あれを姉さんが、直治が来年の夏に着るようにと縫い直して下さったでしょう。あの着物を、僕の棺にいれて下さい。僕、着たかったんです。
夜が明けて来ました。永いこと苦労をおかけしました。
さようなら。
ゆうべのお酒の酔いは、すっかり醒めています。僕は、素面で死ぬんです。
もういちど、さようなら。
姉さん。
僕は、貴族です。
オレはこの直治の遺書を読み終え、ふとまだ暗い窓外に眼をやったような気がする。幸いまだ夜は明けていなかったが……
そしてオレは最後の章の、かず子の上原への水のような気持ちで書いたという手紙を読みすすめ『斜陽』を読了した。
ピエタのマリヤに似ているという母が亡くなり、6章でかず子は、戦闘、開始を宣言する。その際にイエスが十二弟子たちに聞かせ教えた言葉が引用されているが、ずっとオレはこの言葉を忘れずに胸に刻んできた。
──身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ──
そしてかず子はいった。
何だかわからぬ愛のために、恋のために、その悲しさのために、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者、ああ、私は自分こそ、それだと言い張りたいのだ。
オレがこの言葉の意味を本当に理解しているかどうか自信はないが、犠牲者となっても信念を貫いて行動する人間にならなければならない、と理解してきた。そうして太宰治の生き方そのものが、この言葉によってあらわされているのではないかと思ってきた。
『斜陽』は、はじめての太宰治の作品だったと共に、それ以降文学へ傾倒していくきっかけになった小説だった。終末期の『終わりの日』へ向かって直治は自殺をし、かず子は新たな命とともに生きる選択をした。しかしながら、太宰治自身は直治と同じく、翌年には、愛人の山崎富栄と玉川上水で入水自殺をしてしまう。あるいは太宰の気持ちは、直治の思いの方が強かったということなのだろうか? 絶筆が、性格は歪んでいるが容姿は絶世の美女を連れて、それまで付き合ってきた女たちに別れの挨拶にいくという『グッドバイ』は、太宰らしかったけれど……
オレにとって太宰治は大学生の頃に熱中し、今でももっともこころの支えになっている大切な小説家である。
愛犬シーズーのシーの寝顔を見つめシーのためなら、オレもかず子のように、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者、になるのだと誓った。