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『斜陽』その1



 高校3年の夏休み、夏期講習のため仙台市内の予備校に通う電車の中で、オレははじめて太宰治の『斜陽』を読みはじめた。本来なら電車の中でも受験勉強をするべき状況だったにもかかわらず、オレはなにかに引きつけられるように『斜陽』を読みはじめた。 ──たしか、国語の教科書に太宰の短編が取り上げられていて、載っていた写真の太宰の風貌が忘れられなかった── すぐに夢中になったオレは、予備校の夏期講習から帰ってきてからも勉強を放棄し、そのまま『斜陽』を読みつづけ翌日には読了した。

 それは終末期の雰囲気を漂わせた《終わりの日》を感じさせるものだった。高校3年生の17歳のオレにとって、はじめて世の中の真実を垣間見た瞬間であり、未知の大人の世界がひろがる偽りのない新鮮な物語だった。太宰治の『ヴィヨンの妻』に「文明の果ての大笑い」という言葉がででくるが、戦後の混乱の中で、『斜陽』に登場する人々が「文明の果て」といっていいのか、オレなりの言葉なら《終わりの日》に向かってその身を削っていく異様な光景は、大学を目指して将来に明るい展望を抱いていたオレとは逆行していた。

 直治の遺書と、それにつづくかず子の上原への、水のような気持ちで書いたという最後の手紙…… オレはそれらの言葉のひとつひとつを噛みしめるように確かめるように、自分のこころと対話しながら刻んでいった。終末期の《終わりの日》に向かっていきながらも、なぜかしら希望の光を感じることができていた。新鮮なかすかな小さな光に過ぎなかったけれども……

 そうして大学を卒業し大人の世界 ──得体の知れない巨大な力に反撥しながら── で生きつづけ、愛犬シーズーのシーとともに生きるようになって、ふと今の自分が終末期の《終わりの日》に向かって、日々こころ穏やかにつとめ静かに生きつづけていることに気がついた。今度は、シーという希望の光を強く抱きしめながら……


 ちなみにオレは、大学2年生の夏休みの8月初旬に、現在の青森県五所川原市金木町の太宰治の生家「斜陽館」を訪ねたことがある。ずいぶん前のことなので断片的な記憶しか残っていないが、大学の同じ文芸系のサークルの先輩2人と青森市近郊の浅虫温泉に住んでいた先輩 ──この旅行での宿泊先は浅虫温泉の先輩宅だった── の4人で朝からビールを飲みながら、津軽鉄道経由で金木町の太宰治の生家「斜陽館」を向かった。五所川原駅から冬にはストーブ列車になるという津軽鉄道に乗り、周りの乗客のまるで外国語のような何を話しているのかわからない津軽弁を耳にし、ビールを喉に流し込んでは津軽の夏の風景を楽しんだ。

 津軽鉄道金木駅から少し歩くと、威厳ある赤い屋根の「斜陽館」が屹立(きつりつ)していた。オレはその大きさと総ヒバ造りの和洋折衷の建物に圧倒され、大地主だった当時の島津家 ──太宰の本名は津島修治── の隆盛がひしひしと感じられた。1階が食堂になっていたため、広い広間でやはり広い庭を眺めながらカレーライスを美味しく食べた。 ──当時は旅館だったが、現在は太宰治記念館「斜陽館」となっている── その後、幼少期の太宰がよく遊んだという芦野公園にも足を延ばした。


 その2につづく……




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