『懐かしい年への手紙』PART3
大江健三郎の長編小説『懐かしい年への手紙』第一部第五章「死すべき者の娘とは見えず」まで読みおえた。この章はとても興味深い話しが多く、オレの想像力が否が応でも喚起され、この章を拠り所として短編のひとつでも書けそうな気がしたぐらいだった。
掘り炬燵式の机に向かい合った主人公(Kちゃんと呼ばれている)とギー兄さんが、かつて村をもとにした映画制作が計画されたときの台本について話し合う。ずっと藩権力から自由な山間の隠れ里であった村が、ついに藩の体制のうちに組み入れられる幕末の転換期に、村側の交渉役として役割を果たした亀井銘助という若者、「メイスケサン」に纏わる物語について。
藩の筆頭家老が、新しく藩領となった山間の隠れ里を視察に訪れたとき、父に同行した娘の清らかな美しさは、死すべき者の娘とは見えず、神の娘のようであった。やがて「メイスケサン」は大竹藪から竹槍を伐り出して武装した一揆集団を先導し、川筋をくだって行く……
──オレは、よくある男女の恋愛にはまったく興味がない。オレの会社では結婚していながら同僚と不倫をし、さらに別の同僚へ乗りかえてしまうような男がいるが、捨てられてしまった同僚の女性は、 ──自分も不倫関係だったにも関わらず── 精神的に病んで休職したのち退職してしまった。しかしその不倫男 ──あきらかに「メイスケサン」とはまったく違うタイプ── は何食わぬ顔で出勤し今でも不倫を続けている。今の時代こうした話しはよくあることであり、男女の恋愛ほど信用できないものはないと思う、もちろん異論もあるだろうが──
「メイスケサン」らが城下町へ向かう途中、村々の農民たちを併合して巨大な群衆となり、一揆は全面的に勝利を収め、筆頭家老は一揆の終結宣言をして「メイスケサン」らと自分の娘 ── 死すべき者の娘とは見えず、神の娘のようであった ── を京都に発たせたのち自決をする。さらに柳田国男や和泉式部伝説への言及なども加わり、山間の隠れ里の村の物語はとても興味深かった。 ──大江健三郎の小説には、こうした一揆はじめとする武装対立がわりとよく登場する一方で、具体的に恋愛が描かれることはほとんどない──
この『懐かしい年への手紙』は第三部まであり、まだ4分の1を読んだに過ぎない。ダンテの『神曲』をはじめ柳田国男等への言及などさまざまな知的要素を含み、今後、ほんとうのことが語られるのか楽しみになってきた。
今晩もエアコンで温められた部屋で、愛犬シーズーのシーと一緒に寝ている。YouTubeのニュースで、ガザ地区への地上侵攻の現状を確認しつつ、 ──たくさんの子供たちが犠牲になっている── もしハマスを殲滅できたとしても、第ニのハマスが必ず生まれるだろうと思わざる得ない。新たな強い憎しみが、生き残った子供たちの心に刻み込まれているはずだから……