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アナクロニズム



 仕事帰りに乗った電車が、ビル群の照明が夜空を希薄化した大都市らしい光景のなか ──それはごく日常的な光景ではあるが── 走り出した。オレは乗降口付近に立ったまま、VUITTONのダミエ柄のショルダーバッグから分厚い文庫本を取り出して、大江健三郎の長編小説『懐かしい年への手紙』を読みはじめた……

 電車の両側に並ぶ座席の人々は、寝ている人間をのぞけばほとんどがスマートフォン手にしており、真ん中の乗降口付近では、今どき珍しいリーゼント風の髪型の男子高校生が、とても背の低い女子高生とぎこちない会話をつづけていた。

 ふとオレのこころに去来したものは、ある違和感だった。しばらく電車内のスマートフォンを手にしている多くの乗客を眺めながら、この違和感の原因を考えてみた。

 アナクロニズムとは、時代の風潮に合わないで、時世に逆行していること。いわゆる時代錯誤であるが、この電車内でスマートフォンではなく、分厚い文庫本 ──ほとんどの書店で芥川賞受賞作の『飼育』等の文庫本しか置かれていない一般的にはかなり人気のない小説家── を読んでいるオレこそが、アナクロニズムに該当していることに気がついた。

 今の日本の現状は、他の先進国とは大きく違い25年も長いあいだ国民の平均所得はあがらず、派遣労働者が増え非正規雇用者は4割にも及び、少子化が進んでいる。しかしながら多くの国民はこの歪んだ現実を、そのまま素直に受け入れ、そうして帰途の時間の電車内では、習ったように一律にスマートフォンを手にしている。

 おそらくオレの違和感は、ここにあるのだろう。

 オレがたまらずに、リーゼント風の髪型の男子高校生に話しかけた光景を、思い描いてみたのだが……


 ──この分厚い文庫本の作者は大江健三郎というけれど、君はこの小説家の名前は知っているか? 本など読まないからわからない! そうか! でも君の髪型はカッコイイけどアナクロニズムぽいね? アナクロニズムって何? それは家に帰ったら辞書で調べてみてくれ! 辞書って何? ならスマートフォンでググってみてくれ! この可愛らしい女の子とつき合いたいんだったら、帰ったら必ずググるんだぞ!


 冗談はこれぐらいにして、帰りの電車内で一律にスマートフォンを手にしている人々の光景は、まさに日本の現状が反映されているように思われた。やはり現実は厳しいから時代にそくして懸命に働くしかないのだろうが、一律にスマートフォンを手にしている人たちは、各々が自分の内の世界に浸るように潜りこんでいた。歪んだ日本社会も当たり前の現実であり、自分は日々の生活を送るだけというように……


 ふたたびオレは、分厚い文庫本の『懐かしい年への手紙』を読みはじめた。オレはアナクロニズムなのだろうとあらためて思いながら、車窓に映る自分の姿を見た。アッシュベージュの髪に、Tiffanyのフープピアスをしている、よく愛犬シーズーのシーに似ていると言われる自分を……



 今晩もそのシーと一緒に寝ながら日本酒を飲んで、Rimbaudの小林秀雄訳の詩集『地獄の季節』のページを(めく)ったりもしている。




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