『河馬に噛まれる』から『懐かしい年への手紙』へ
大江健三郎の短編連作集『河馬に噛まれる』を読了し、仙台市の丸善で注文して ──丸善であっても在庫がなかったため── 講談社文芸文庫の大江健三郎の『懐かしい年への手紙』1870円を購入し読みはじめた。 ──文庫本なのに高い── おそらく新潮文庫にしろ講談社文芸文庫にしろ、大江健三郎の文庫本を購入する人間など皆無に等しく珍しいだろう。街ゆく若者に大江健三郎を知っているか、もしくは読んだことがあるかと尋ねたなら、ほとんどの若者から、誰?とか、NOとの返事が返って来るのではあるまいか?
値段のいい文庫本だけあって表紙などは『懐かしい年への手紙』のタイトル文字がゴールドになっていたりするが、背表紙に書かれた簡単な紹介文は次のとおり。
──郷里の村の森を出、都会で作家になった語り手の「僕」。その森に魂のコンミューンを築こうとする「ギー兄さん」。二人の”分身〟の交流の裡に「いままで生きてきたこと、書いてきたこと、考えたこと」のおよそ総てを注ぎ込んで”わが人生〟の自己検証を試みた壮大なる”自伝〟小説。『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』に続きその”祈りと再生〟の主題を深め極めた画期的長篇。──
1994年、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞したときの対象作品は、『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『M/Tと森のフシギの物語』『懐かしい年への手紙』だった。そのうちオレはまだ『万延元年のフットボール』しか読んでいない。 ──なぜ『同時代ゲーム』が対象作品になっていないのか、疑問があるが── 人によっては大江の最高傑作という『懐かしい年への手紙』だが、文庫本で約600ページ。オレの遅読では読了まで数ヶ月かかってしまうだろう。毎日コツコツ読んでいくつもりだし、このエッセイでも途中経過の感想などを綴っていきたい。
思うに最近の芥川賞受賞作品で、私小説的なるものはあまり記憶にない。少し前の『コンビニ人間』ぐらいか。いまの時代、自己を晒すことに抵抗感があるのか? それとも私小説はすでに限界に達しているのか? おもに私小説を書いてきたオレにとっては、自伝的な『懐かしい年への手紙』はとても楽しみなのだが…… おそらく大江健三郎の大いなる想像力が発揮されているだろうし、『同時代ゲーム』や『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』と比較しながら読みすすめていくつもりだ。
昨日、評判になっている『ゴジラ-1.0』を観てきた。オレには感動できなかった。 ──話しがあまりに上手く行き過ぎている── 『シン・ゴジラ』を越えたという人もいるけれどオレにはそう感じられなかった。
今晩も愛犬シーズーのシーの寝顔を見ながら、日本酒を飲んでいる。