『四万年前のタチアオイ』読了
大江健三郎の短編連作集『河馬に噛まれる』3作目の『「浅間山荘」のトリックスター』を読了した。
あらためて、大江が『「浅間山荘」のトリックスター』で取り上げた、新潟のスナック経営者の男についての問いかけ? を考えずにはいられなくなった。
──武装した「左派赤軍」が籠城している浅間山荘を、機動隊が包囲しているなかで、浅間山荘の玄関に現れ、「左派赤軍」によって頭を撃たれ血を流して倒れた新潟のスナック経営者の男への《希望》の言葉とは?──
もしこの短編小説を読んだ方は、 ──大江健三郎を読む人はごく稀であろうが── きっとこの《希望》の言葉をいろいろと考えてみた経験があるのではないだろうか? オレも継続して考えつづけてはいるのだが……
つづいて本日、短編連作集『河馬に噛まれる』5作目の『四万年前のタチアオイ』を読了した。この短編小説もたいへん興味深く、またしても新しい短編小説へのイメージが喚起された。タチアオイとは花の名前。
──洞窟に埋葬されたネアンデルタール人の、骨格わきの土壌資料のうちに、タチアオイ花粉ないし花の砕片がふくまれており、これは四万年前埋葬にあたった最後の氷期の人びとが、高原の様ざまな場所から採取してきて、死者とともに葬ったとしか考えようのない、そのような花だというものなのであった──
もし可能なら、未熟ながら近いうちに『四万年前のタチアオイ』から喚起された短編小説を書いてみたい。
街中で、煙草を吸いながらスマホで電話をして歩いているホスト風の若い男、この男がガザ地区の現状を理解しているはずもなく、けっして死んでゆく子供たちの悲鳴も聴こえない。日本は平和だというが、どような礎によって成り立っているのか考えすらしないだろう。オレはこのような人種を目にするたびにツバを吐きたくなる。
愛犬シーズーのシーと一緒に、イスラエルによる包囲が本格化するガザ地区の報道を観ている。思わずオレはシーを抱きしめた。