『河馬に噛まれる』途中経過
大江健三郎の短編連作集『河馬に噛まれる』を読みはじめて、もう2週間ほどになるだろうか。ようやく4作目の短編を読了し、5作目を読みはじめたところだ。 ──全8作品── 基本的に家で読書をするときは、寝転んで日本酒や白ワインを飲みながら読みすすめる。 ──行儀は悪いが、まったく酔ったりしない──
大江健三郎の小説は、高い見識に裏打ちされた想像力豊かな作品が多く、文章もけっして読みやすい方ではない。不明な点があれば基本的に前に進めなくなるし、語彙が豊富なため、数多くのわからない言葉や漢字はすべてネットで調べている。おのずと時間もかかるし疲労も伴う。 ──とても貧相な語彙ゆえ──
もちろん短編連作集だから、物語は継続して続いていく。今のところ、3作目の『「浅間山荘」のトリックスター』がもっとも難解だったが、とくに魅力的で面白かった。オレ自身、最近時間の余裕がなく定期的に執筆していた短編も3ヶ月以上執筆できていない現状だったが、この『「浅間山荘」のトリックスター』を読んで非常に喚起されるものがあり、久しぶりに短編を書きはじめた。しかしながら、まだ構想もあやふやなため完成できるか危ういが……
前にもこのエッセイで述べたように、短編連作集『河馬に噛まれる』は、浅間山荘事件を扱っている。以前から、日本人にとってこの事件を思考することはとても重要なことだと思っていた。この短編連作集を読み進めるうちに、1972年当時の日本と「連合赤軍」の若者の真実の姿が、少しでも見えてくることを期待している。
1973年に新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」 ──すごい企画!── として、大江健三郎の『洪水はわが魂に及び』が発行されている。浅間山荘事件が1972年の冬であり、この長編小説は、主人公と「自由航海団」という若者たちが主人公の居住していた核シェルターに籠城し、囲んだ機動隊と戦闘に及ぶことから、オレは勝手に大江が浅間山荘事件をモデルとして書いたのだろうと思っていた。しかし大江自身はこの長編小説を、1960年代後半から書きはじめたといっているため、オレの思いすごしだったかもしれない。ちなみに今のところ、大江作品のなかでオレが一番好きな作品が、この『洪水はわが魂に及び』だ。
『河馬に噛まれる』は、読了後また思うところをこのエッセイで述べたいと思う。とりあえず途中経過まで……
今晩もエアコンで温められた部屋で日本酒を飲みながら愛犬シーズーのシーの寝息を聴き、YouTubeでガザ地区の報道を観ている。国連のグテーレス事務総長は、 ──ガザは子どもたちの墓場になりつつある。毎日、数百人もの少年少女が殺害され負傷している── と強い危機感を示した。「ガザは子どもたちの墓場」になっている現実、なぜこのような現実が起こってしまうのか? 人間の醜くさ愚かさを強く感じる。