『晩年』
撰ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり
ヴェルレエヌ
『晩年』は、太宰治の15篇の作品を集めた最初の創作集の総題だ。昭和11年に刊行されたが、なぜ27歳の青年の処女創作集に老人くさい『晩年』などという題名をつけたのだろうか?
一説には、太宰治は自殺を前提に遺書のつもりで小説を書きはじめ、自分は滅亡の民の一人だと信じ、せめて自分の一生を書き残しておきたいとこの『晩年』の諸作品を書いたという。
そして、これらの作品を書きあげた昭和10年に、鎌倉の山で縊死をはかったが未遂に終わり、『晩年』の諸作品により新進作家として注目されはじめた。
オレは大学受験中の高校3年生の時に、『斜陽』『人間失格』を続けて読んだが、大学に入学後、この『晩年』をはじめとしてほかの作品もすべて読んだ。
大学の学友に小説を読んでいる者は1人もおらず、まして太宰治を読んでいることなど、恥ずかしくてとても言えなかった。しかしオレは取り憑かれたように夢中になって読み続けた。
──満月の宵。光っては崩れ、うなっては崩れ、逆巻き、のた打つ浪のなかで互いに離れまいとつないだ手を苦しまぎれに俺が故意と振り切ったとき女は忽ち浪に呑まれて、たかく名を呼んだ。
俺の名ではなかった──
太宰治のどこがいいか?
どこに惹かれるのか?
むかしよく質問された。
でも真面目に正直に答えたことはなかった。おそらくうまく言えなかったのかもしれないが、本当は言いたくなかったのだ。
今、言えることは、もっともすべての核心にせまろうとした小説家だということだ。
ごく稀に、太宰治を好きだという女性に出会った時、オレは多少なりともその女性を疑い警戒した。太宰治は、生い立ちやプロレタリアへの憧れ聖書との関わりなどさまざまな面をもち、表面だけで彼を理解することはとても難しいはずだから……
水至りて渠成る
うそつき、ふだつき、おおつきだよ
「咲クヨウニ、咲クヨウニ」
今日の仙台も初夏の暑さ……
愛犬シーズーのシーは、なぜか壁際の畳の上で熟睡している。