『ピンチランナー調書』再考その1
大江健三郎の小説、とくに長編小説群を読むことをここ数年間つづけてきた。彼の小説にはもっとも大切なことが書かれてあると信じてきたからであり、そのもっとも大切なことを確かめたいと切望してきたからだ。とくに1979年発表の長編小説『同時代ゲーム』は、大江が44歳に発表したまさに核となる小説だった。 ──と考えるのはオレだけかもしれないが──
1967年発表の『万延元年のフットボール』(大江が32歳)からはじまる長編小説群、『洪水はわが魂に及び』『ピンチランナー調書』『同時代ゲーム』は、大江のもっとも充実した時期の作品群だろう。そしてこの頃の日本は、安保闘争や学生運動といった若者の行動に、日本中が席巻されていた時期でもある。 ──彼は安保闘争や学生運動を無視することができなかった──
繰り返しになるが、『ピンチランナー調書』は1976年に発表された。1972年の冬にあさま山荘事件が起きたことを考えると、60年安保闘争や70年安保闘争からつづいた学生運動が終焉を迎えてから数年後の時期である。大江は学生運動とりわけ「連合赤軍」のことは、この時期に執筆した一連の作品で何度もモデルを登場させている。『洪水はわが魂に及び』の「自由航海団」、『ピンチランナー調書』の「ヤマメ軍団」、『河馬に噛まれる』の河馬に噛まれた主人公の青年も「連合赤軍」の元一員だった。
しかし突然オレはここで、唸ってしまうのだ。 ウーン!!!
「安保闘争」「学生運動」!! といったキーワードに、どれだけの人間が反応するだろう。
渋谷のスクランブル交差点で行き交う若者に、 ──アナタハ「アンポトウソウ」ヤ「ガクセイウンドウ」ヲゴゾンジデスカ? と尋ねたら何と答えるだろう? 場所を変えて新宿の大久保公園の立ちんぼの若い女性や少女に、 ──アナタハ「アンポトウソウ」ヤ「ガクセイウンドウ」ヲゴゾンジデスカ? と尋ねたら、変わった過激な性行為を求めるヘンタイだと思われてしまうかもしれない。 ha、ha!
「安保闘争」や「学生運動」にまったく興味や関心がない若者にとって、大江健三郎のこれら一連の作品群は ──普遍的な価値があるとしても── 何の意味ももたないかもしれない。仮に手に取って読んだとしても、理解できる範疇を超えているだろう。 ──当然「安保闘争」や「学生運動」が、およそ50年も前のことであるのだから──
そしてまた今の日本の若者にとって、ガザ地区へのイスラエルの過剰ともいえる攻撃をどう感じているのだろうか? ──ニュース等でガザ地区で起きている現状をきちんと認識しているのかどうかも疑わしいが、おそらく無関心な若者も少なくないだろう── 「安保闘争」や「学生運動」は過去のことかもしれないが、現実にガザ地区への攻撃は今起きていることなのだ。しかしながら日本の経済成長が停滞したままであることに何ら危機感を抱かない若者が、遥か中東で起きている紛争に関心を持つことはないだろう。
今晩もエアコンで温められた部屋で、愛犬シーズーのシーの寝息を聴き日本酒を飲みながら、ガザ地区の難民キャンプが空爆されたニュースを観ている。たくさんの子供たちが犠牲になってしまった現実を……