『ピンチランナー調書』第九章「「転換」二人組が未来を分析する」
『ピンチランナー調書』第九章「「転換」二人組が未来を分析する」を読了した。
繰り返しになるが、『ピンチランナー調書』は1976年に発表された。あさま山荘事件が1972年であるから、一般的に人々の間で学生運動が過去のものとなりつつある頃、総括するかのようにこの長編小説は、その学生運動が盛んだった時代を背景として描いている。あさま山荘事件から4年後、まだ痛々しく悍ましい記憶は残っていただろうが……
それから約40年以上経過した令和において、革命、革命党派、金属パイプ、内ゲバといった言葉が搬出された小説を、今の若者が馴染めるとは思えない。 ──今の若者にとって、安保闘争や学生運動は歴史の教科書に載っていたこと以上の意味を持たないだろう── けっして万人受けしない長編小説を、嬉々として感動さえしながら読みすすめているオレは、さぞ異質なのだろう。
さてこの章は、革命党派の集会において「大物A氏」を襲撃したことについて森が演説した言葉 ──実際には、森がほとんど沈黙しているように微細な電流を森・父に送ったものを、森・父が演説者として語った── を、後日、自分の肉声を再び響かせてみたいと森・父が再現し、レコーダーにふきこんだ内容が記述されている。 ──もちろん幻の書き手が、レコーダーの音声を文字におこしそのまま記述した──
カセット・テープを再生した音声は、確かに森・父の「転換」後の声であったが、むしろロウティーンまで若がえったほどの稚ないキーキー声であった。おまけにキーキー声自体が、あきらかに演出された二様の声音のため、片仮名と平仮名によって幻の書き手は記述している。
しかし今回は、その詳細について語ることは省略し、冒頭の挨拶だけを記述しておく。オレが最初から魂が揺さぶられるほど感動させられた言葉を……
君タチノ革命党派ノ、ヨク闘ウスベテノ諸君ニ、挨拶スル。ヨク闘ウ人間ヨリ他ノ、コノ世界ノスベテノ人類ハ、宇宙的視点ニヨレバ、抜ケ殻ニスギナイ。死ンダ抜ケ殻ニ挨拶デキヨウカ? ワレワレハ無ニ対シテ挨拶スルコトヲ望マナイ。ワレワレハ生命体ニ向カッテコソ、真ニ挨拶スルコトガデキル。宇宙ノアラユル隅ズミカラ、挨拶ヲ希望スル意志ガ、コノ惑星ニ集中スルノハ当然ダ。ココニコソ闘ッテイル生命体ガイルンダカラ。Salute! トコロガワレワレハイマダ、宇宙ニ向カッテ挨拶ヲカエスコトガデキナイ。ナオワレワレハ、宇宙カラノ挨拶ノ、ソノヨッテキタルトコロニ、闘ウ生命体ヲ認識シエナイカラ。真ノ挨拶ニ、同ジク真ノ挨拶ヲカエスコトガデキナイノハ、ナント不幸ナコトダ!
なお、この森の挨拶を読んで、なにも心に響かなかった人には、この長編小説をおススメしない。
日本酒を飲みながら愛犬シーズーのシーの寝息を聴いている。そっと頭を撫でる。 ──自然界のなかで死ぬことは利他的なこと── ということばを思い出す。