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我々はどこから来たのか 我々は何者か  我々はどこへ行くのか



 《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》



 この何やら哲学的で根源的な問いかけに、明確な解答を見いだせる人は果たしているのか?


 この問いかけを、自作の絵画のタイトルにしてしまった画家ポール・ゴーギャンとは、いったい何者なのか?


 オレも1度訪れたことがあるが、東洋の真珠と賛辞されたシンガポールのラッフルズ・ホテルの1室で、サマセット・モームはタイプライターを叩き続け『月と6ペンス』という有名な小説を書きあげた。それは、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得たゴーギャンの生涯を描いたものだった。

 残念ながらオレはまだこの小説を読んでいないため、モームがはたしてゴーギャンをどのような人間として描いたのか認識できていない。しかしながら、モームが小説の題材にするだけの何か ──根源的なもの、魅力的なもの── をゴーギャンに感じていたのだろう。

 ちなみに「月」は夜空に輝く美を、「六ペンス」は世俗の安っぽさを象徴しているのかもしれないし、「月」は狂気、「六ペンス」は日常を象徴しているのかもしれないと言われている。


 前置きが長くなってしまったが、もう10年以上前の2009年、東京の竹橋の国立近代美術館でゴーギャン展が開かれた。しかも畢生(ひっせい)の代表作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』が、ボストン美術館より海を渡って公開されるという。

 この情報を偶然、インターネットで知った。しかし当時のオレは、ゴーギャンに関してほとんど無知であり、ゴッホと共同生活をしたりタヒチに移住した画家ということしか知らなかった。 ──インターネットのゴーギャン展の紹介で、初めて彼の畢生の代表作が『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』であり、まさにその根源的な問いかけ自体が絵のタイトルになっていることを知り、とても驚かされた──


 ──ゴーギャンとは何者なのか? こんなタイトルの大作には、何が描かれているのか?


 やはりそれを知りたくなった。



 秋晴れの暖かい土曜日、愛車のルノー・カングーで、仙台から東京まで東北自動車道を飛ばした。

 やはり国立近代美術館は、とても混んでいた。ゴーギャンの最高傑作が東京で観れることは2度とないかもしれない、おそらくみんなそんな思いだったのではないか?


 しばらく並んでチケットを買い中に入ってみると、たくさんのゴーギャンの作品が展示されていた。そしていくつかの部屋を過ぎて、今までより明らかに薄暗く広い部屋に辿り着くと、大勢の人々がその部屋に唯一展示されてある巨大な絵画に群がっていた。


 それはとても大きな絵だった。

 オレはまず、その絵の大きさに圧倒された。とくに横に長く絵の前にはロープが張られてあった。(縦139.1cm、横374.6cm)

 すぐにその巨大な絵が、あの畢生の大作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』であることがわかった。


 この絵は、右から左へ絵巻のように物語が描かれている。

必然的に鑑賞方法も、ロープに沿って絵の右側から左側に歩いて鑑賞するようになっていた。多少立ち止まることはできても、長い時間同じ場所にとどまることは許されていない。オレは1度だけでは物足りず、また戻っては3回続けて歩き、その巨大な絵画を鑑賞した。


 ──絵の最も右側に描かれている黒い犬がゴーギャン自身らしく、絵の右側がタイトルの「我々はどこから来たのか」の部分。中央が「我々は何者か」の部分。そして左側が「我々はどこへ行くのか」の部分だとされている──


 オレは、このゴーギャンが魂を込めた大作と対面するにあたって、なんら知識を持っていなかった。事前に調べて知識を得ることはできたはずだが、しかし漠然(ばくぜん)と、なんの予備知識もなく白紙のまま、この大作と対峙したいと願った。


 正直、この大作と直面した時も、その絵の大きさに圧倒され、とても神秘的な印象は受けたものの、まったく何もわからず、ただこの絵を目に焼きつけたいという思いだけだった。とくに中央部分の果物を取る少女の姿を目に焼きつけた。


 ──ゴーギャンが何者なのか?


 答えはすぐにはわからなかった。いや、わかるはずなどないのかもしれない。


 しかしその後、ヒントを求めてゴーギャンの人生やこの大作のことをいろいろ調べてみた。

 フランスで株取引の仕事をしていたが、大暴落のため辞めざる得なくなり、画家の道に進んだこと。家族と別れて、1人タヒチに(おもむ)いたこと。

 それから後、貧困と病気に苦しみ最愛の娘アリーヌを亡くし、絶望のうちに遺書として、この大作を描いたという事実も……


 ──ゴーギャンは、幼少期にカトリックのメスマン神学校に通っていたため、その影響下でキリスト教の教理問答から、もしくは聖書の言葉からこのタイトルが生まれたのではないかとも言われいる──


 ゴーギャンは、決して幸福な人生を送ったとは言えない。彼が都会のパリよりもタヒチの原始的なものに惹かれ、自ら確立した究極の美は、最後にあの大作をもって、オレたちに問いかけてくる。

 彼の魂は、根源的な深い問いかけのメッセージを残して、南の島で消えてしまったのか?


《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》と……


 今日の仙台も初夏のような暑さだったが、今、愛犬シーズーのシーは、枕もとでお腹を天井に向けぐっすりと寝ている。




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