『ピンチランナー調書』第五章「陰謀から疎外されたと感じる」
『ピンチランナー調書』第五章「陰謀から疎外されたと感じる」を読了した。
『ピンチランナー調書』が発表されたのは、1976年であり、1972年の冬に起きた連合赤軍による浅間山荘事件から数年後であるが、この長編小説では、セクト間の内ゲバについても触れられていることから、まだ学生運動が盛んな時期を背景にしていると思われる。
しかもこの章では、1960年代から1970年代に発表された大江健三郎の他の長編小説群 ──『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『同時代ゲーム』── と共通する思想または思いが示されていた。信念ともいえる確たる思想を、この時期の大江は繰り返し描いている。この祈りのような思想または思いに出会うたびに、オレは嬉しくなってコップの日本酒をグイと飲み、ha、ha! と笑うのだ。
しかしながら、今日の多くの日本人に内包されたつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹した生き方では到底理解されないことでもある。とくに多くの時間をスマホのゲームで費やし読書を一切しない多くの若者にとっては、訳の分からない念仏が書かれているとしか思えないかもしれない。 ──まあ、このような長編小説を手と取ることもなかろうが──
ともかくオレは、この章を読みながらコップの日本酒をグイグイ飲んで、ha、ha! と嬉しくなったのだ。
──ドノヨウナカタチデアレモシ宇宙的な意志が実在シテイナイナラ、ドウシテオレタチハ「転換」シタンダ?
「転換」シタコトガ、走ルコトノデキヌ、走ラネバナラヌコトヲマダ知ラヌ、ソンナ者ラノタメノ《ピンチランナー》ニナルタメダトシタラ、スグニモ走リ始メネバナラヌカモシレナイゾ
オレはこのカタカナの言葉に触れたとき、ピンチランナーの声の真の到来を自覚し、激励し威嚇するような叫喚が聴こえてきたのだ。はたして皆さまにも聴こえてくるだろうか?
リー、リー、リー、リー、リー、リー。リー、リー、リー、リー、リー、リー、リー……
パレスチナの問題はさまざまな歴史がありひと言では言えないものがあるが、今のイスラエルは自衛の範囲を超えた過剰な攻撃をガザ地区に繰り返している。各国からも非難の声が上がって来ている。イスラエルにも言い分はあるだろうが、ここまでこの国は感情的で怒りをむき出しにするのかというのを世界に示す必要があるのか?
今晩もエアコンの暖房の中で愛犬シーズーのシーはやすらかに熟睡している。オレはシーの寝息を聴きながらYouTubeでガザ地区のニュースを観ているのだ。人間の残虐さと醜くさと愚かさを実感しながら……