『ピンチランナー調書』第三章「しかしそれらは過去のことだ」 第四章「すぐに闘いのなかへ入った」
第三章『しかしそれらは過去のことだ』、第四章『すぐに闘いのなかへ入った』を読了した。
最近、YouTubeで「思考停止」という言葉を目にした。認知科学者苫米地英人の『思考停止という病』という本を要約した配信動画を観たのだ。 ──自分の頭で考えない人は、何度も同じ間違いを繰り返す。なぜ自分の頭で考えることができないのか? それは端的に言えばバカだからである。なぜ思考することができない人が多いのか? 本書ではその謎を解き自分の頭で考える力をつける方法が書かれてあるようだ。なぜ多くの日本人の思考は停止するのか? 1、学校教育と会社の洗脳 2、知識不足 3、ゴールがない 詳細は省略するがおおかた予想できるだろう──
『ピンチランナー調書』は第三章『しかしそれらは過去のことだ』に入り、驚くことに森・父と森が「転換」した。森・父は38歳の中年から18歳のハイティーンになり、森は8歳の子供から28歳の青年になった。 ──森・父の被曝によるプルトニウム火傷の痕跡もすっかりとぬぐいさられた── この物理的に不可能な「転換」がなぜ起こったのか? この長編小説を読みすすめていくうちに納得できる理由が得られるかもしれないが、一つのヒントらしきことは森・父の口から発せられていた。
──人類の危機を象徴する存在(あるいは現象)として、おれと森の二人組をふくむ不特定多数の「転換」があるのかね? そうだとすれば、この現代世界には、半・キリストの胎動もいちはやく始まっているのかもしれない。そいつを打倒して、流産した半・キリストにしてしまうために、どこで、どのようにしてそいつと闘うか? 誰が闘うか? と問題を設定すると、それこそは「転換」したわれわれにまかせてくれ、といいたいんだがね。
つづいて第四章『すぐに闘いのなかへ入った』に入ると、「転換」したその日の夕方から開かれた半・原発の集会へ、「転換」した森・父と森は出かけていった。
──それではハイティーンの衒学趣味でゲーテを引用しよう、ha、ha!
《そして世界のすべてがわたしの気に入るように、わたし自身もわたしの気に入る。》
しかし集会は、反対派の襲撃グループ「ヤマメ軍団」によって襲撃され乱闘となってしまい、しまいには機動隊が介入にすることになってしまう。
──核の力を非権力の手に、しかしおまえたち半・革命のゴロツキの手にじゃなく──
まだ確信をもてたわけではないが、現時点で、この長編小説に登場する「ヤマメ軍団」は、連合赤軍をモデルにしているように思われる。大江健三郎の長編小説には、たびたび連合赤軍をモデルにした集団が登場するが、この『ピンチランナー調書』にも描かれているようだ。
また先に、日本人が思考停止する理由の一つとして、知識不足を挙げたが、知識を得るには読書が必須であることは言うまでもない。しかし読書を習慣としている日本の若者はどれだけいるのだろう。悲惨な境遇や貧困によって苦しむ者は、現実世界に疑問をもち思考するだろうが、今の日本の若者に、それほどの危機感があるとは到底思えない。ha、ha!
今晩もエアコンの暖房を入れているので、Tシャツ1枚で寝ている。愛犬シーズーのシーの寝息がなによりも愛おしい。ガザ地区の子供たちのことを考えてみたが、日本でぬくぬく生きている人間には、その資格さえないのかもしれない。もし彼らに『星の王子さま』を贈ることができたのなら、むさぼり読みつづけるのではないだろうか?