『ピンチランナー調書』第二章「幻の書き手が起用される」
日本は、30年間も経済成長できず「失われた30年間」を送ってきたが、そもそも日本人は「失われた30年間」の本質をわかっていない。アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは電子版で、「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わなかった結果だと指摘しているようだ。バブルが崩壊したその原因や責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎ今だに自民党が政権を担っている。
日本はつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さくなり、その結果、決断したわりに小さな成果しか上げられなかった。失われた30年間の責任は、現在の政府にあることは間違いない。そして多く日本人は、この「失われた30年間」の本質をわかっていないのだ。 ──そもそも「失われた30年間」を顧みる日本人も少ないのだが──
読書によって得られるものははかりしれない。読書をしなければものごとの本質を理解し見極めることは難しいだろう。事なかれ主義に疑問をもたず、思い切った構造改革ができない原因は、その辺にあるのかもしれない。
オレは通勤電車に乗るたびに、若者の中で本を開いている者がいるかどうか一瞥してみるが、みなスマートフォンを手にして書物を開いている者は皆無だ。近い将来、日本が先進国から逸脱し、さらに「失われた40年間」に突き進むことはもはや避けられない事実だろう。 ──若者がスマートフォンのゲームに夢中になっている姿を一瞥しながら問わずにはいられない。アナタガヤルベキコトハホカニアルノデハナイカ── ※オレもかつてPlayStationでゲームをやっていた時期があったが、今ではその時間を読書にあてるべきであったと後悔している。
そうしてこのような現状のなかで、大江健三郎の長編小説を読みつづける意味は? とあらためて考えてみたくなる。けれどもオレは、彼の長編小説群から、少なからずほんとうに大切なメッセージを受けとっていると実感しているのだ。 ──スクナクテモスマートフォンデゲームヲヤルヨリハタイセツナメッセージヲ──
『ピンチランナー調書』第二章の冒頭で、マクベス夫人のことばが引用される。しかもnotが欠落している引用が……
そのように考えねばならない、そうすればわれわれは気が狂ってしまう。
──notがあれば、そのように考えてはならない。そんなことをすればわれわれは気が狂ってしまう。となる──
第二章 『幻の書き手が起用される』を読了した。この章ではさっそく森・父の経験と夢想の言葉が幻の書き手によって綴られはじめてゆく。しかし経験と夢想による言葉にわかりづらい点が多く理解するのに苦労した。ユングの夢の話し、反・キリストの話し。「ブリキマン」の登場と、もはや主人公といえるもと原子力発電所の技師の森・父が、プルトニウムに被曝した経緯などが描かれた場面は、悲劇というよりも滑稽でさえあったのだが……
大江健三郎の長編小説群は、読者の想像力を大きく超えて物語が展開して行くが、必ずその時代背景が描かれてある。けっしてファンタジーではない。現実にあった事件も取り入れられているため、読者はその事件を追認しながら読みすすめて行くことになる。そして徐々に、一定の資質がある読者は気ずくはずなのだ。 ──資質がなければ気がつかない── 彼の長編小説群には、脈々とひとつの思想が根底にあることを……
そうしてファンタジーではない現実としてガザ地区の現実がある。オレは遠い日本において温かい布団の中で、愛犬シーズーのシーの寝息を聴きながらYouTubeでガザ地区の報道を目にしている。