『カラマーゾフの兄弟』その13
『カラマーゾフの兄弟』について、まだまだ言い足りないことがたくさんあるような気がする。
冒頭の「作者の言葉」にあるように『カラマーゾフの兄弟』は二部構成になっており、今回読破した第一の小説(今から13年前の出来事)は、主人公アレクセイの伝記にすぎず、重要なのは二番目の方(現在のこの瞬間における、わが主人公の行動)であるとドストエフスキーは記している。
こうした作者の言葉を頭に入れて第一の小説を読みすすめ読了すると、やはりこの第一の小説は、第二の小説を前提に書かれている、という気がしてきてしまう。 ──ドストエフスキーの死によって第二の小説は執筆されなかった──
ゾシマ長老は死期がせまると、修道僧のアレクセイにこういった。
──息子や、将来もお前のいるべき場所はここではないのだよ。これを肝に銘じておきなさい。わたしが神に召されたら、すぐに修道院を出るのだ。すっかり出てしまうのだよ。
その他にも、それらしく感じられるものはいくつかあるが、『カラマーゾフの兄弟』第一の小説のエピローグでもそのことは感じられた。
善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年イリューシャが病で亡くなり、葬式に集まったコーリャをはじめとする少年たちとアリョーシャ(アレクセイ)が、決して彼を忘れないようにしようと誓うとき、13年後の現在におけるアリョーシャやコーリャの姿が目に浮かんだのだ。薄命だったイリューシャの願いや祈りに恥ない生き方をまっとうしようとするアリョーシャやコーリャの姿を……
おそらくアリョーシャとコーリャは、ロシア皇帝暗殺へとつきすすんでゆく。
愛犬シーズーのシー