表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
200/260

『ヒロシマ・ノート』Ⅳ「人間の威厳について」その1



 ここ1ヶ月ほど『カラマーゾフの兄弟』を集中して読みすすめたため、『ヒロシマ・ノート』を手にとることがほとんどなかったが、先週あたりから読書を再開し、ゆっくりと読みすすめている。

 まだ依然として頭の中は『カラマーゾフの兄弟』で占められているが、それでもノンフィクション作品の『ヒロシマ・ノート』の別な()()()が、オレのこころを揺さぶってきた。


 大江健三郎は、子供の頃のエピソードを記していた。戦中の終わりのころに、村の映画館で観た映画のひとつのエピソードだ。それは敵軍の捕虜となった若い兵士が、拷問にあって自分の軍隊の機密をしゃべってしまうことを恐れ、ただちに自殺するというものだった。大江少年はそれこそ震撼(しんかん)された非常な感銘をうけ、同時にひどく恐れおののき怯えてしまった。自分もまた、この戦争のあいだに同じような窮地においこまれるにちがいないと予感したのだ。彼は若い兵士の行為に感動しながら、その反面、いったい自分の死を賭けてまでまもりぬかねばならぬ重要事が、この世の中にあるのだろうか、とエゴイスティックに生命を愛している不安な子供らしく疑ったのだ。

 この世界の新参者(しんざんもの)で、まだなにひとつなしとげていなかった大江少年は、ひとつの秘密をうちあけねば殺されてしまう、という選択を強いられたなら、僕は不甲斐なくどのような秘密でもうちあけるだろう。死を賭してまでなお屈服しないこと、死にいたるまで抵抗すること、それが可能な人間に、僕はいつなれるのだろうか? と考えた。

 一緒に映画を観た父親 ──父親は大江が9歳時に急死している── に、なぜ若い兵士は自殺したのか? と内部のジレンマはおしかくしたまま、無邪気なチビの表情をよそおってたずねた。しかしその時の彼の短い返答ほどにもショッキッングな大人の言葉を、大江少年は聞いたことがなかった。それは子供の偽装された無邪気さへの(いら)だった父親の罰だった。


 ──あの兵隊? 自殺しないでも、白状させられたあと結局殺されたよ。


 その後、大江少年には、そのどうせ死ぬ、どちらにしても死ぬ、という状況がたとえようもなく恐しく感じられはじめた。僕はおそらく、白状させられたあとで殺される兵隊のタイプだと自覚したのだ。しかしながら、そういうタイプに嫌悪を感じ、白状しないで自殺するタイプの他人の存在に感激したものの、大江少年は壁につきあたるのだった。

 将来の自分の軍隊の戦友たちのことを考え、彼らの生命のために黙って自殺する。しかし、自分の死の重みにくらべて、他の人間たちの死のことを、()()()()()考えることが、できるだろうか? 自分の死こそが絶対ではないか? そして大江少年がまだ子供のうちに戦争は終わっても、戦場にゆかなくてもいい時代の青春を送っても、そのジレンマはのこりつづけたのだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ