『カラマーゾフの兄弟』その7
『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫(原卓也訳)下巻658ページを読了し、ついに完読した。(合計1940ページ) 下巻は8月7日から読みはじめたので、約5日で読み終えた。また上巻は7月11日から読みはじめたので、ちょうど1ヶ月で、この『カラマーゾフの兄弟』を読破することができた。
以前にもこのエッセイで記したが、村上春樹は『カラマーゾフの兄弟』をこう評している。
──世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。(村上春樹訳『ペット・サウンズ』あとがきより)
オレも『カラマーゾフの兄弟』を読破した人間のひとりになった。完読したおり、もう少し大きな喜びが湧いてくるのかと思っていたが、今のところそれほど高揚感もなく淡々としている自分がいて、拍子抜けしている。
この『カラマーゾフの兄弟』の冒頭「作者の言葉」で、ドストエフスキーはこの小説を、わが主人公、アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフの伝記と称していた。(アレクセイはカラマーゾフ家の末っ子の三男で修道僧) さらにドストエフスキーは、伝記は一つだが小説は二つある。重要なのは二番目のほうで、すでに現代になってからの、それもまさに現在のこの瞬間における、わが主人公の行動である。と記している。(二番目はドストエフスキーの死によって描かれなかった)
そしてその続編の構想としてWikipediaにも記載されているが、残された知人宛への手紙には「リーザとの愛に疲れたアリョーシャ(アレクセイ)がテロリストとなり、テロ事件の嫌疑をかけられて、絞首台へのぼる」というようなあらすじが記されてあったという。しかも冒頭の「作者の言葉」でも、ドストエフスキーはアレクセイのことを、小説本編から受ける印象とは全く異なる「奇人とも呼べる変わり者の活動家」と評していた。
よってオレは、テロリストへと突きすすむアレクセイ《テロリストアレクセイ》を念頭において、今回この『カラマーゾフの兄弟』読みすすめた。 ──おそらくこのような読み方をした読者は、ごく稀であろう──
読後の感想や評価は、後日熟考のうえあらためて記したいと思う。 ──この長編小説は、ひとことふたことで語れるようなものではない──
おそらく総合的な感想というよりも、ひとつの言葉、ひとつの場面に対する感想なりを、何回かにわけて記すことになるだろう。
愛犬シーズーのシー