『カラマーゾフの兄弟』その6
『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫(原卓也訳)下巻、第四部第十編「少年たち」は、息が詰まるように引き込まれ一気に読んでしまった。何かほんとうに大切なものに触れているような感覚があった……
二等大尉スネギリョフが涙にむせんだかのように、しまいまで言えず、木のベンチの前に力なくひざまついた。両の拳で頭をしめつけ、なにかぶざまな声を張りあげて……
── エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を…… (旧約聖書詩編137編)
──エルサレムとかって、何のことですか……あれは何のことです? と少年コーリャがアリョーシャ(主人公アレクセイのこと)に尋ねる。アレクセイは即座にこたえた。
──あれは聖書の言葉で、『エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば』というんです、つまり自分のいちばん大切なものを忘れたり、ほかのものに見変えりしたら、わたしを罰してください、という意味ですよ……
貧しい退役二等大尉スネギリョフのひとり息子イリューシャを診察した首に荘厳な勲章を吊るした医者が、じれったそうに言い放っていたのだ。
──今となっては、わたしの手には負えません。
(おそらくこれだけでは、よく内容が把握できないかもしれないが、あとはぜひこの長編小説を読んでもらいたい)
オレは、この旧約聖書詩編137編を、あらためてGoogleで調べたうえ、けっして忘れないようこころに誓った。
『カラマーゾフの兄弟』は、今からから140年以上の前の、農奴解放後の混沌としたロシア社会を背景にしている。もちろんスマホもなく主な移動手段は馬車であり、監視カメラもない。オレはこの世界最高峰の長編小説を読みすすめながら、とくに時代認識に注意した。今から100年以上も前の物語なのだと。そして読みすすながら、車もスマホもない時代の話しを、令和の若者が受け入れ把握することは困難だろうと感じた。しかしこんな時代でも、当時の民衆は真摯に生きていたのだ。
余談だが、長男ドミートリィが父親殺しの容疑で逮捕されたのも、本人の供述と目撃者の証言によるところが大きかった。監視カメラがあり、血液検査など科学的調査があれば逮捕されることはなかったであろう。
さて、残り500ページを切った。もう一踏ん張りだ。
愛犬シーズーのシー