『カラマーゾフの兄弟』その4
『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫(原卓也訳)上巻667ページを読了した。7月11日から読みはじめたので、約3週間費やした。 ──当初はのんびり半年ほどかけて読了するつもりだったが、途中から早く読了したい気持ちが強くなった。ただし、上、中、下巻が各々600ページ以上あるためまだまだ時間は要するだろう──
前にも記したが、大江健三郎の長編小説『洪水はわが魂に及び』において、たびたび引用される『カラマーゾフの兄弟』が原卓也訳であったため、オレは迷うことなく原卓也訳を選択した。亀山郁夫訳の方が新訳で読みやすいとの評判もあるが、このところ読みにくい大江健三郎の小説ばかり読んでいたこともあり、ほとんど苦もなく読みすすめることができている。
ただし、第二部第五編 4「反逆」 5「大審問官」は難解。とくに有名な二男イワンが語る叙事詩「大審問官」は何度か読み直さないといけないだろう。以前イワンは「不死がなければ、善もないのです」と発言し、象徴的に「神がいなければ、すべてが許される」(文学史的にとくに有名な部分)という思想があるとみられているが、「大審問官」はその考えが反映されているのかもしれない。
また『カラマーゾフの兄弟』は、さまざまなことがキリスト教的要素を礎として描かれ、今の時点で詳細を記すことは避けるが、登場人物間の会話が多く、意外にもシラー等の詩の引用が多いことも印象的だった。 ──その引用の仕方が、大江健三郎と類似していると感じた──
奥様、わたしはご褒美を求めておりませぬ。
(シラーの詩『手袋』の一節。女に訣別を告げる詩)
それからこの長編小説には、多くの個性的な人物が登場するが、オレはとくに《140センチそこそこ》しかない非常に小柄な娘リザヴァータ・スメルジャーシチャヤと、カラマーゾフ家の召使でコックのスメルジャコフが印象的だった。 ──もちろん主人公アレクセイとイワンも注目だが──
『カラマーゾフの兄弟』は、1879年に文芸雑誌『ロシア報知(英語版)』で連載が開始、翌1880年に単行本が出版された。農奴解放後のロシア社会の混沌を背景にしている。日本でいえば明治12年に当たり、令和を生きる今の日本人とくに若者に、ドストエフスキー最後の長編小説がすんなり理解されるとは思えない。ほとんど読まれていないだろうが…… しかしもし文学と真摯に向き合う気持ちがあるのなら、『カラマーゾフの兄弟』は必読書となるであろう。
愛犬シーズーのシー