狩猟で暮らしたわれらの先祖
大江健三郎の短編・中編連作集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』の、第三部 オーデンとブレイクの詩を核とする二つの中編のうちのひとつ『狩猟で暮らしたわれらの先祖』を読了した。
現在オレは贅沢なことに、村上春樹の新作長編『街とその不確かな壁』と同時並行して『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』を読みすすめているが ──戦後の日本文学を代表する二人を比較しながら── この108ページの中編『狩猟で暮らしたわれらの先祖』を読みはじめてからは、すっかり引き込まれ一気に読了した。
この短編・中編連作集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』は、1967年の長編『万延元年のフットボール』と1973年の長編『洪水はわが魂に及び』のあいだの1969年に発表されており、大江健三郎が新たな境地に達した ──彼が生涯追い求めたテーマ── 絶頂期ともいえる30代の頃の作品だ。おそらく彼は『万延元年のフットボール』からの次の一歩を意識的に模索しながら、この『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』を執筆したのだろう。
1994年のノーベル文学賞受賞理由 ──詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている── の言葉通り、この『われわれの狂気を生き延びる道を教えよ』でも、その詩趣に富む文章に、オレは何度も感嘆の声をあげた。
それでは一体、オーデンの詩を核とする中編『狩猟で暮らしたわれらの先祖』のなにがオレをそこまで夢中にさせたのか?
それは『万延元年のフットボール』からはじまり『洪水はわが魂に及び』『ピンチランナー調書』、そして1979年に発表された長編『同時代ゲーム』へと脈々とつづく彼が追い求めた《根源的なもの》 ──《根源的なもの》という表現が適切かどうか確信はないが── を、この中編『狩猟で暮らしたわれらの先祖』のなかでも見い出したからだ。大江がこの中編で次の一歩を模索し描いたものこそが、のちの長編『同時代ゲーム』へと繋がっているのではないかと推察しながら読みすすめることは、オレにとってこの上なく楽しいことだった。
そして、あらためて今までオレが大江健三郎に抱いてきた《根源的なもの》を見い出すことができたことは、さらに感慨深いことだった。 ──抽象的な表現で理解しづらいかもしれないが──
このエッセイを執筆後、オレは村上春樹の新作長編『街とその不確かな壁』のつづきを読みはじめるつもりだ。今までオレは、大江健三郎から感じる《根源的なもの》を村上春樹から感じたことはない。しかしながら、彼の物語る風の歌を聴いてみたいと思うのだ。
イスラエルによるガザ地区への地上戦が始まろうとしている。ジェノサイドという人もいる。今晩もエアコンの暖房の中で愛犬シーズーのシーは熟睡している。シーの寝息を感じることが宇宙の声を聴くことになるのだ。