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『ヒロシマ・ノート』



 夜中に目が覚め、となりで寝息をたてながら熟睡している愛犬シーズーのシーの頭をそっと撫でた。そして、今もっとも読むべきだと感じている大江健三郎のノンフィクション岩波新書の『ヒロシマ・ノート』をAmazonで注文した。 ──先日の日曜日、仙台市内の丸善の岩波新書の書棚を探したが『ヒロシマ・ノート』を見つけられなかったため──

 

 『ヒロシマ・ノート』をWikipediaで検索すると、概要として下記の記載があった。


 ──1945年8月6日に世界初の原子爆弾が投下された広島市を、大江は1963年に訪れ、原水爆禁止世界大会、原爆の被爆者、そして被爆者の治療に当たる医師たちを取材して本作を著した。表題の「ヒロシマ」は単に原爆被災地「広島」を示すだけでなく広島・長崎をおそった今世紀最悪の「人間的悲惨」を象徴し、反核への意志「ノーモア・ヒロシマ」を含意する──


 昨年の3月亡くなった大江健三郎が、生涯貫き通した反核の願い。その原点として『ヒロシマ・ノート』がある。

 よくオレは、惹きつけられるようにYouTubeで、太平洋戦争での神風特攻隊の動画を観る。なぜ彼らは運命に従い意味もなく国のために死ななければならなかったのか。 ──当然、無念であっただろう──

 戦後79年が経過しあの戦争を体験した人たちが少なくなって来ている。もう少しすれば戦争経験者もいなくなってしまう。太平洋戦争を体験していない戦後生まれの我々が、これからの日本を担うことになる。 ──どちらかというとオレはリベラルな考えをもつ方だが、戦争で亡くなった多くの若者たちへの尊崇(そんすう)の念に近い思いはある。戦後日本の(いしずえ)となった戦死者を忘れてはならないと。そして大江健三郎は、戦争へと突き進んで行った日本人のことを考え続けていたはずなのだ──


 オレは大江健三郎の小説を必死に読んで来た。おそらく娯楽の範囲ではない。彼の最後の長編小説『晩年様式集イン・レイト・スタイル』を読み終え、彼の原点が『ヒロシマ・ノート』にあるような気がしてならなかった。そして深夜に目覚めたオレは、シーの頭をそっと撫でながら『ヒロシマ・ノート』を読もうと決心した。



 まだ梅雨に入らない仙台。もう少ししたらシーを起こして朝の散歩に行こう。今朝はシーと一緒に底辺から色づく東の空を眺め、辻井伸行の演奏でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴きたい気分だ。とくに第3楽章を……




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