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『晩年様式集』その9 「五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽」その3



 大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集イン・レイト・スタイル』の「五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽」という章についてさらに記していく。


 祖母と母に森の伝承を聞かされた子供だった長江(大江健三郎自身がモデル)は、パトリック・シャモワゾー(カリブ海のフランス領マルティニーク島の小説家)の『カリブ海偽典』を読み、そこにある少年の暮らしに、しみじみ類似を実感した。 ── かつて虚弱な子供(主人公のボデュール=ジュール)だった時、親が心配して、医者や祈禱師に診てもらおうとした。それも肉体的にのみならず精神的にも癒してくれる、マントーと呼ばれる者のひとりの、マン・ルブリエという女性に託されて暮らす。つまり「忘却された」という意味もはらむ名のマントーのひとりと、マルティニックの森のなかで隠れ棲むことになる──

 当然、オレはこの『カリブ海偽典』は未読のため、Googleで検索してみると次のような概略が述べられてあった。


 ──カリブ海の小さな島で一人の老人が自らの臨終を宣言した。世界中の独立運動で戦った偉大な英雄バルタザール・ボデュール=ジュールは、()()()によって自分の生涯を語りだし、それをモワゾーが言葉に記録する……

 四百年前の奴隷船の記憶、地にはびこる呪い、森の生活、愛した女たち、驚きと喜び、怒りと挫折の物語。これは植民地支配によって断絶させられた歴史、人々が強いられた沈黙を逆手にとり、壮大で豊饒な物語を自ら紡ぎ直そうする試みなのだ。空白は許さない、と言うかのごとく詰めこまれた奇想天外で饒舌な語りである──


 また、幼いバルタザールを庇護し、とてつもない知恵を持ちながら若い娘のような外見のマン・ルブリエ(マントー=治癒する人)が、ある日彼に言ったという言葉がとても印象的だった。


 ──記憶を失えば、世界を失うのさ、そして、世界を失えば、人生の脈略そのものを失うのさ!


 オレは、記憶を失えばというところを、生を失えばと言葉をかえてみた。

 ──生を失えば、世界を失うのさ、そして、世界を失えば、生そのものを失うのさ!



 長江は子供の頃を再認識する。バルタザールのように、子供ながら生きる場所を独り発見して、自分のやり方で暮らしたいと思っていたけれど、じつはある人物にそれを助けてもらっていた。この人物はその子供の気持ちをよく汲みとってくれて、思い出すたび、それがとても控え目な仕方での庇護だったと感心する。森に入って昼の間過すことのできる、家のような樹木群集を教えてくれたのも、その人だった。

 つい遅くなって夜の森を降りるのは危なく、やむなくそこで夜を過ごすことになると、ローソクとマッチも置いてくれていて、自分の点してる燈が「屋敷」から目に入ると食べものを持って見に来てくれることもあった。自分のマントーとしてのギー兄さんがいたのだ……



 今朝は雨のためシーと散歩に行けなかった。そのぶんオレは、布団に仰向けになったシーのお腹をずっとやさしく撫でてあげた。シーは気持ちよさそうに目をつぶり時おりピンク色の舌をペロペロしていた。


 ──シー、もっと撫でてほしい? そろそろ腕が限界なんだけれど!




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