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『晩年様式集』その6 「「三人の女たち」がもう時がないと言い始める」



 大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集イン・レイト・スタイル』の「「三人の女たち」が()()()()()()()と言い始める」という章について記していく。

 立ち止まってこころ静かに自分を見つめ、あらためてこの世の中のあり様を考える必要があると感じさせられる章だった。


 ──今はわたしたち後期高齢者こそが、自分らなりに機敏な生き方をすべきじゃないですか? なぜならわたしたちにはもう時間がなく、急がなければならないからです。その点ギー兄さんを筆頭に、亡くなった人たちこそ、さらにも急いでいられるはずで(死んだその人たちが生きている間にもっていられたわたしたちに託される思いがあるとすれば)、その受けとめ態勢に入らなければならないと思います。──


 七月十六日、代々木公園の、長江(大江健三郎自身がモデル)も呼び掛け人の「十万人集会」に、長江の妹アサも、四国の市民参加者として参加した。十五万以上の参加者のあったメイン集会で、豆粒ほどに見えた長江の五分間の話をアサは聞いた。

 長江は戦前の(つまりこの国の軍国主義体制に抵抗していた)中野重治の、『春さきの風』から引用した。《三月十五日につかまった人々のなかに一人の赤ん坊がいた。》赤ん坊は母親に抱かれて、「保護檻」というところにいれられた。そして発熱して、とうとう死ぬいきさつが描かれ、それに立ち会ったがなお未決にいる夫から来た手紙に、母親が書く返事が短編小説の結びだった。

 中野のその文章を、あれだけ大きい集会で聞く意外さが胸に響いたし、周りの見るからに一般市民の参加者にも、感銘は連動してゆくようだったとアサは振り返った。


 もはや春かぜであった。

 それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲きあげた。

 風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。

 それはケシ粒のように小さく見えた。

 母親は最後の行を書いた。

「わたしらは侮辱のなかに生きています。」

 それから母親は眠った。



 また四国の森の()()で暮らし始めた長江の長男アカリには、「空の怪物アグイー」が……カンガルーほどの大きさの、赤んぼうの寝着をつけて空を飛ぶ親身な存在が……さらにリアルになっていた。林道を歩く間、サブリュックのなかで自分が作曲した作品を鳴らし続けているが、ともに歩く妹の真木にだけ聞こえる低い声での「物語」。「森のフシギの音楽」のストーリー。

 以前、新聞のエッセイに長江は書いていた。もしアカリの三十年間の楽譜を、妻と真木やアカリ自身に助けてもらって言葉に翻訳すれば、かれの伝記が書けるかも知れない。それこそ大仕事(トラヴアーユ)にしても。


 近日中に、オレは仙台の丸善で中野重治の短編『春さきの風』が載っている文庫本を購入するつもりだ。



 今朝の散歩で満開の桜のしたを愛犬シーズーのシーと歩いた。シーはまったく桜を見上げようとはしなかったけれど……


 ──シー、シーには桜なんてなんでもないんだね!



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