『晩年様式集』その4 「カタストロフィー委員会」Papt3
大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集』の「カタストロフィー委員会」という章について続けて記していく。
ヴィデオ制作の一つとしての、ギー・ジュニアによる長江(大江健三郎がモデル)へのインタビューが成城の長江の自宅で始まった。遅くまで続いたインタビューの翌朝、すでに昼近くなってから、柘榴の新しい茂りが力をみなぎらせる南側の窓に向かって、長江とギー・ジュニアはコーヒーを飲みながらMalcolm Lowryについての話しをした。長江の書庫のベットに寝ていたギー・ジュニアは、頭の脇の棚にずっと並んでる研究書が主であるが、マルカム・ラウリー関係を取り出していたのだ。長江の小説に幾度も出て来るラウリーに興味を抱いて……
ギー・ジュニアは26歳のとき、母親から長江の長編小説『懐かしい年への手紙』を読み始めさせられていた。母親が息子の「人生の時」をはっきり見きわめて……
そして6年後、ギー・ジュニアは長江のラウリーが引用されている短編連作集『「雨の木」を聴く女たち』を読み、それまでの長江へのイメージを追加したり修正したりした上で、強い影響を受けていた。
一方で長江は40代に入り、マルカム・ラウリーの生涯について知った。そしてオリジナルのテクストで“Under the Volcano”を読み深い印象を受けた。そうしてこの小説『火山の下』の文章のトーンが気にいり、ついには短編連作集『「雨の木」を聴く女たち』を書いたのだった。
“Under the Volcano”の主人公の領事は、妻とムゴイ別れ方をし、その別れた妻に対してというよりも、もっと根本的な……人間そのものに対する罪悪感を持っていて、永く苦しんでいた。 ──やがて領事がそのカタストロフィーの仕上げに渓谷へと落ち込んで行く。かれの死体に続けて、叩き殺された犬の死体も投げ込まれる── ギー・ジュニアは、この“Under the Volcano”のエンディングを、長江が赤鉛筆でなぞっていることを知った。
自分の父(ギー兄さん)が死んだ後、長江が相当ひどいアルコール中毒であったこと、その悪夢にもとずき『「雨の木」を聴く女たち』で、ラウリーの短編のひとつを紹介し、ラウリーが小説家として苦しい仕事を再開しようとする自分の願いを、神に呼びかける。その「祈り」を訳出していたのだ。
《親愛なる神よ、心からお祈りいたします、私が作品を秩序づけることができますよう、お助けください、それが醜く、混沌として、罪深いものであれ、あなたの眼に受けいれられる仕方において。……乱れさわぎ、嵐をはらみ、雷鳴にみちているものであるにはちがいありませんが、それをつうじて心を湧きたたせる「言葉」が響き、人間への希望をつたえるはずです。それはまた、平衡のとれた、重おもしい、優しさと共感とユーモアにみちた作品でなければなりません……》
今夜も愛犬シーズーのシーの寝息を聴きながら、日本酒を飲み、大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集』のページをめくった。もう少ししたら、薄明のなかシーと散歩に出かけよう。