『核時代の森の隠遁者』
大江健三郎の短編・中編連作集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』に収められている短編『核時代の森の隠遁者』を読了した。
『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』は、アポロ11号が月面着陸に成功し、ニクソンがアメリカ大統領就任、そして『サザエさん』が放送開始された1969年(昭和44年)に発表された。 ──当時は、おそらく今とはまったく違う時代背景があったのではないか、70年安保闘争の前年であり、まだ学生運動が盛んだったはずだ──
この短編・中編連作集を、当時まだ大学生だったオレがはじめて読んだとき、いちばん印象深かった作品が、ぼく自身の詩のごときものを核とする三つの短編のうちの『核時代の森の隠遁者』だった。
そしてこの短編には、重要な人物として数十年ものあいだつねに森の奥深くに住みつづけて老人となった隠遁者ギーが登場し、野に叫ぶ人さながら谷間の村のありとある場所で叫びまわる。
核時代を生き延びようとする者は
森の力に自己同一化すべく ありとある市
ありとある村を逃れて 森に隠遁せよ
当時に比べたらさらに贅沢過ぎるほどの豊潤な消費社会のなかで、オレたち日本人はあらゆる面で文明を享受している。もし街行く若者に野に叫ぶ人さながら、
核時代を生き延びようとする者は
森の力に自己同一化すべく ありとある市
ありとある村を逃れて 森に隠遁せよ
と叫んでも避けるようにして誰も耳を貸さないだろう。小汚い格好で野に叫ぶ人さながら叫びまわっていたのなら、まさに狂人扱いして嘲弄するに違いない。しかしながら、大学生の頃のオレ自身がそうであったように、社会人として何とか生き延びるている今の自分も、この隠遁者ギーの言葉を無視する気にはなれない。なぜならこの過度な文明社会で生き延びる道 ───われらの狂気を生き延びる道── こそが、この言葉に暗示されていると思うからだ。オレは大学生の時に出会ったこの言葉を心奥に秘めて、ときおり口ずさんでさえいたのだ。
森の力に自己同一化すべく ありとある市
ありとある村を逃れて 森に隠遁せよ
カザ地区ではイスラエルによって電気も水道も遮断され、まともに医療も受けられない劣悪な環境にある。この戦争が、裕福な人間と貧しい人間の戦いであることを忘れてはならない。金のあるところに多くの人が集まるが、貧しいものは見向きもされない。裕福なものが正義とみなされてしまうのだ。歴史をよく学び、くもりなきまなこで見なければほんとうのことは見えてこない。
今晩もエアコンの暖房を入れた。愛犬シーズーのシーはピンク色の舌を出したまま熟睡している。