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『晩年様式集』その4 「カタストロフィー委員会」Papt2



 大江健三郎の最後の長編小説『晩年様式集イン・レイト・スタイル』の「カタストロフィー委員会」という章について続けて記していく。


 長江(大江健三郎自身がモデル)の故郷、四国の森の村における年長の友人であった亡きギー兄さんの長男ギー・ジュニアが、アメリカから自らプロデュースするテレビ報道の番組を制作するため来日した。「3・11後」の東日本の被災地ふくむ日本滞在中には、「フクシマ」への海外からのヴォランティア集団に加入もした。

 ギー・ジュニアのテレビ報道番組のヴィデオ制作チームは、彼ら仲間の間で「カタストロフィー委員会」と呼ばれていた。カタストロフィーという言葉は、長江の仕事にもよく出て来るものであったが、ギー・ジュニアらはカタストロフィーの時代を文化的にも最先端で示す者らだと自覚し、「カタストロフィー委員会」に選ぶ芸術家という企てもやった。 ──その顔ぶれでただひとりの日本人が、篁透(たけむらとおる)(作曲家武満徹がモデル)だった── また長江の友人であったエドワード・サイードも、終生のパレスチナ問題への参加と、白血病と闘い続けての死にしても、かれは端的にカタストロフィーを避けなかったと評価された。 ──カタストロフィーのただなかへ自爆して行くようにして、長江の言葉でいうならば、()()()()()()()()を持って(たお)れたとして──


 しかしながらギー・ジュニアは、篁透やサイードと同じように、遠からず死んでゆく長江を「カタストロフィー委員会」に推すことに躊躇があった。反・原発の大きい集会の発起人になったり、その方向で講演したり、新聞にエッセイを書いたりしたとしても、それは大きい賞を背中に背負ってのフルマイと感じられたから。

 ただ後期高齢者のひとりとして、原発に囲まれた地震国に生きている以上、カタストロフィーと無縁ではないし、その危機にまるごとさらされて生きていることを自覚している人、とは知っていた。なぜならかれの長女真木から、かれの書いた詩 ──小説の一部分ではなく── のことを聞いて感銘を受けたから……



 アカリをどこに隠したものか、と私は切羽詰っている。/四国の森の「オシコメ」の洞穴にしよう、放射性物質からは遮断されているし、岩の層から湧く水はまだ汚染していないだろう! 避難するのは七十六歳の私と四十八歳のアカリだが、老年の痩せた背中に担いでいるアカリは、中年肥りの落着いた憂い顔を、白い木綿の三角錐のベビーウェアに包んでいる。どのようにゴマカセバ、防護服をまとった自衛隊員の道路閉鎖をくぐり抜けることができるものか?

 耳もとで熱い息がささやきかける。

 ──ダイジョーブですよ、ダイジョーブですよ。アグイーが助けてくれますからね!



 朝の散歩で愛犬シーズーのシーを抱きあげる。ダイエット中のシーが、オヤツをおねだりして歩こうとしないため。


 ──シー、ごめんね!




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