『同時代ゲーム』総括
『同時代ゲーム』を読了できたとして、この稀有な長編小説を、あたかも自己同一化するように共感できる人間は稀であろう。少なくても基準以上の教養と思慮を備えていなければ、この物語の根柢に流れる作者の思いには到達できない、と感じた。 ──神秘主義的なところもある──
今回、20代前半に最初に読了した当時、オレがこの小説をまったく理解できていなかったにも関わらず得意になっていたことが明白となった。頻繁に出現する難解な漢字や言葉を、辞書で確認することなしに読みすすめたのだから、表層を撫でただけであったのは間違いない。 ──ある程度の人生経験も必要──
また単純に、この長編小説は好き嫌いが大きく分かれる小説でもあるだろう。自己保身の思いが強い人間には、受け入れがたいものにもなろう。よって万人に勧められるものではなく、辞書を片手にある程度の覚悟をもって、ページを捲る必要がある。
ふたたびオレが『同時代ゲーム』を読了して胸に去来したことをひとことで言うと、かなしさであった。どんなかなしさだったかは、オレがこれから描いていく小説で表現できたらと思っている。
具体性のない総括になってしまったが、具体的に記すのが憚られてしまうのだ。しかしながら、オレにとって、自己同一化できたほんとうに大切な読書体験だった。『同時代ゲーム』は、これからのオレの人生の指針となるだろう。
さあ今朝も愛犬シーズーのシーと散歩に出かけよう。薄明のなか底辺から色づく東の空をシーと一緒に眺めよう。あらためて『同時代ゲーム』を読了できた感動を胸に……
──シー、夜明けだよ!