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『新しい人よ眼ざめよ』Part1



 オレは、大江健三郎については全作品のうちおよそ3分の1ほど読了したに過ぎない。まだまだ戦後日本を代表する小説家を理解できるレベルには達していない。20代の後半に頭に障害をもった長男が誕生して以来、大江の作品の方向が変わり、それ以降の作品は生まれ故郷の四国の谷間の村と森を舞台としつつ、障害児の長男との共生とともに祈りと再生の物語を描きつづけている。それらは個々に独立した作品ではあるが、すべての作品が共鳴し合い全体としてひとつの大きな世界を構築しているかのようだ。

 一方で、あの小林秀雄が最初の数ページで投げ出したという1979年に新潮社の「純文学書下ろし特別作品」として発表された『同時代ゲーム』が、大江健三郎の中心をなす長編小説であり、大袈裟にいえばそれ以降の彼の作品は『同時代ゲーム』の補足のために書かれているのではないかとさえ思われる。


 大学時代、1歳年上の英文学科の女性先輩から勧められて読んだ短編連作集『新しい人よ眼ざめよ』が、最初の大江健三郎の小説だった。 ──実際に『新しい人よ眼ざめよ』は、知的障害児の長男が20歳の誕生日を迎えた記念に執筆された小説でもある──

 主人公の父親は、イギリスの神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの詩に導かれながら、幼児の呼び名のイーヨーと呼ばれる障害児の長男が、親の死後も手がかりとできる定義集をつくろうと試みる。そうして家族のあり方、社会のあり方、世界の成り立ちを思索しながら、イーヨーの行動と呼応(こおう)するようにブレイクの予言詩(プロフエシー)が引用され物語はすすんでいく。そして物語の最後で、20歳を迎え成人となったイーヨーは、本名の光さんと呼ばれるのだ。

 まだなんら社会経験のなかった大学生のオレにとっても、この短編連作集は衝撃的だった。知的障害があるがゆえに世の中の常識に染まることなく無垢(イノセンス)な心を保持するイーヨーと、その言動や行動に呼応するかのように散りばめられたブレイクの予言詩(プロフエシー)。それはこれから大学を卒業し世の中の荒波に船出するオレ自身にとっても、道標(みちしるべ)のような予言詩(プロフエシー)だった。



 今夜も日本酒を飲み愛犬シーズーのシーの寝息を聴きながらYouTube観ている。岸田をはじめ自民党政治家のあまりにも国民と乖離している価値観に、もっと国民は怒りをあらわにすべきであるが、公共事業などの下請けをしている中小企業にとって、あまりハッキリとものが言えないのも現実なのか? だから日本は世界から大きく遅れをとっているのだろう。


 宇宙は、こうした日本人の世間という利害関係から無縁である。夜明けの底辺から色づく東の空の美しさは、すべてを超越していることをほとんどの日本人は気づいていないだろう。

 しかしオレはシーと一緒に、今朝も東の空を眺めるのだ。


 ──シー、きれいだね!




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