小夜嵐
今の大学生をはじめ、三島由紀夫を知っている若者は、どのぐらいいるのだろうか? ──『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』を書いた小説家というぐらいは知っているのだろうか? ──
あるいは三島由紀夫が、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室において、民兵組織「楯の会」の会員4名と共に総監を人質に籠城し、バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起を促す演説をしたのち、割腹自決した衝撃的な終期を知っているのであろうか?
つい最近、三島由紀夫の辞世の句を深遠な思いで読む機会があった。
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐
はたしてこの句に、何を感じるだろう?
三島由紀夫は、戦後の日本文学においてもっとも重要かつ最先端を走る稀有な天才であり、彼の小説を読むこなく日本文学の先行きを見通すことはできないだろうと考え、オレは大学時代にいくつかの代表作を読んだ。『仮面の告白』『金閣寺』『憂国』『豊穣の海』ぐらいに過ぎないが……
『豊穣の海』は、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成り、最後に三島由紀夫が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」と言われている。
そして最終巻の入稿日の昭和45年11月25日、彼は、前述の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。
この4巻にも及ぶ大長編小説を、オレは3ヶ月ほど費やして読了した。小説の構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなっており、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえられているらしい。
主人公が輪廻転生してゆく物語こそ興味深いものだったが、正直オレにはよく理解できなかった。若くして死んでゆく主人公たちの眩い光のような美しい残像は残ったが……
三島由紀夫の祖父は、福島県知事や樺太庁長官を務め、祖母方の血筋を辿っていくと徳川家康に繋がっていたりと、やはりそれ相応の家系のようだ。
しかし祖父の借財のために、三島家は経済的に困窮し、由紀夫は東京大学法学部から大蔵省に入省する。その学生時代にすでに川端康成と出会い親交を深め、堀辰雄や太宰治にも会っている。
大蔵省に入省してから文章力を期待された三島由紀夫は、大蔵大臣の演説原稿を書く仕事を任され、その冒頭文に、淡谷のり子さんや笠置シズ子さんの楽しいアトラクションの前に、 ──私如きハゲ頭のオヤジがまかり出まして、御挨拶を申上げるのは野暮の骨頂でありますが…… と書いて課長に怒られ赤鉛筆でバッサリと削除されてしまった。後に超一流小説家となった三島由紀夫の原稿を削除した面白いエピソードとして、大蔵省で語り継がれたそうだ。
話しが脱線してしまったが、やがて三島由紀夫は大蔵省を辞め、本格的に小説家となった。やはり戦争体験によって深く刻みこまれた至純の心が、オレには三島由紀夫のその後の人生と作品に、大地に滲み込む雨水のように影響を与えたような気がしてならない。
なぜなら、三島由紀夫が私淑していた蓮田善明が招集令状を受けた際、 ──日本のあとのことをおまえに託した、と言い遺し、日本の行く末と美的天皇主義(尊皇)を、蓮田善明から託された形となったらしいから。
しかもその蓮田善明は、マレー半島で陸軍中尉として終戦を迎えるが、天皇を愚弄した連隊長大佐を軍用拳銃で射殺し、自らもこめかみに拳銃を当てて自決してしまった。やはりこうし事実こそが、人知れず深く三島由紀夫に影響を与え、あのような最期へと進んで行ったひとつの要因かもしれない。
いずれにしても、戦後日本文学において渾然と輝く才能を誇った三島由紀夫を、ひとことで述べることはできないだろう。
大学2年を迎えた春、母と京都へ旅行に行った。そのときオレは、すでに読んでいた『金閣寺』に思いを馳せながら、春のうららかな陽の下の金閣寺を眺めた。それは目の前の池に映った金閣寺とともに、深遠な美しさだった……
今晩も、愛犬シーズーのシーは枕元でお尻をオレに向けて熟睡している。シーのこころも至純の美しさだ。