『夏の夜の博覧会は、かなしからずや』
中原中也の晩年の詩に、『夏の夜の博覧会は、かなしからずや』というのがある。皆さまはこの詩をご存知だろうか?オレは、この詩の背景を知ってから読んだので、目頭が熱くなり涙が溢れるのをとめられなかった。しかし、もし背景を知らずに読んだのならどう感じたのだろうか?
青空文庫にも載っているが、ここにこの詩を記す。どう感じられるか? ぜひ読んでみてほしい。
後日、このエッセイで、あらためてこの詩の背景を紹介したいと思う。
注、
「かなしからずや」とは、かなしいか、いや哀しくない。
「ありぬ」とは、あるに違いない、あるはずだ、きっとあるだろう、という意味となる。
『夏の夜の博覧会は、かなしからずや』
1
夏の夜の博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲んでゐぬ、かなしからずや、やがて女 房きぬ
三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かな しからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや
広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや
2
その日博覧会に入りしばかりの刻は
なほ明るく、昼の明ありぬ、
われら三人飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ
飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき
その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!
今朝も薄明のなかを愛犬シーズーのシーと散歩に出かけよう。ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴きながら……
──シー、散歩だよ!